高級葬儀のHP「独り言」に超一流ホテルの話題について触れたが、読んでくれた知人から「面白い」というメールが届いていた。
これまでに多くのホテルから招聘されスタッフ向けの講演や指導なども行ったが、そこで逆に学ばせていただいたことも多く、それらの体験の集大成が私の人生の宝物にもなっている。
サービスというものは提供する側、提供される側によって全く異なる立場になるし、その人の個性や感性も複雑に絡むので簡単ではなく、それこそ中立的で冷静な立場から客観的に捉えることも大切となってくるものだ。
一歩通行で自己満足的なレベルでは満足に至らず、マニュアルで対応するような世界に高度なサービス提供は不可能で、スタッフそれぞれが有しているハートが重要ということにもなるが、そこに気品がなければ完成度が低いという事実を知りたいものである。
葬儀の司会にも「品」が必要で、指導した人達に「気品」から「貴品」が感じなければなんて教えたが、果たして通じたのだろうかと思いながら、その成長を期待する日々である。
「品」とは絶対に作ろうとした努力に生まれるレベルではなく、悲しみに対する「優しさ」とは自然の感情にこそ生まれると考えて欲しい。
与えられたシナリオを読む司会者から自分でシナリオを描く司会者になりなさいと教えた人も多いが、その意味を学び取った人達は見事に開花して優しい司会言葉になっている事実もあるので、この「独り言」をご笑覧くださる司会者の皆さんは是非挑戦して欲しいと願っている。
紙に書き込まれた情報からナレーションを創作するのと、ご遺族から取材して創作するのでは全く異なる内容になるもの。晩節を過ごされた病室でのご様子や、最後に残されたお言葉を拝聴するだけでも知り得なかった情報が入手出来る。また、取材中にご遺族の表情を察し、触れるべきか触れないべきかを判断出来れば素晴らしいが、故人やご遺族がご自慢につながることを話し難いということも理解しておきたいものである。
弊社のスタッフ達に教えたことがある。お客様の「有り難う」には100段階ぐらいの意味の異なりがあることを知りなさいということ。中には「義理的」な意味合いが含まれていることも考えなければならない。どのレベルの「有り難う」だったのかを判断出来るのもプロに求められる条件である。