長嶋氏、松井氏への国民栄誉賞が授与された。試合の前にセッティングされたセレモニーだったが、松井氏の挨拶と謝辞が秀逸だった。これだけでも栄誉賞の意味があったような感を覚えたが、ご両親がスタンドにおられ、大なる親孝行になったと拍手したくなった。
アンチ巨人派の人でも長嶋氏だけは別だという人が多いそうだが、そんな長嶋氏がプロ野球の世界に入られたのは私が小学生だった頃。クラスで野球ブームが生まれ、親父にグローブを買ってくれと言ったら、「野球は不良のするものだ」と却下されて驚いたが、親父とはそんなとんでもない考え方をしていた。
長嶋氏の現役時代の活躍は誰もが認めるものだが、プロ野球の全盛時代から今般に至っているのは氏のお蔭だと説く専門家もあり、そんな華々しい存在感が野村氏の「月見草」という名言を生んだように思っている。
前にも書いたが、長嶋氏は面白いエピソードがいっぱいある人物。後楽園球場に連れて行った息子さんを忘れて帰られたり、上野駅のロータリーにエンジンを掛けたままの車を忘れて電車に乗ってしまったのも有名だが、監督時代のある年の終盤戦、優勝を左右する連戦に向かう途中のバスで霊柩車に遭遇し、「これは縁起がよい」と験を担ぎ、運よく勝利を迎えたところから、次の日のバスの車内でも「霊柩車に逢うように」と運転手さんに命じられたのだが、ぎりぎりの時間まで走行しても遭遇せず、その日は「友引」の日であり、都内で葬儀は行われておらず、霊柩車が走るということはなかった裏話があった。
友引きの日に葬儀を行わない地域は結構あるが、我が大阪では私がこの仕事に従事した当時から迷信として考えられ、半分ぐらいの件数の葬儀が行われていたが、最近では気にされない方が多くなったようである。
六曜の中の「友引」は元々「共に引き合う」という勝負なしの日で、友連れなんて発想はなかったのだが、お上が禁止していた暦の制作緩和がされると同時に特徴ある暦をという訳で、六曜を掲載した暦の登場から一気に定着してしまったようである。
浄土真宗系では、お開きになった親鸞聖人の教えから「占い」や「迷信」に惑わされないという考えもあり、友引に対する抵抗感も低いようだが、その考え方は残念だが全ての門信徒さんには伝達されていないようで、友引の日を避けられる方もあるし、お寺様にも「世間が悪いと言うことは避けられた方が」と説かれた方もおられた。
長嶋氏と私は同じ大病を患い、「同病」という言葉を思い浮かべながらセレモニーを観ていたが、氏は発病されてから発見されるまでの時間経過が長く、強い後遺症に至ってしまったのでお気の毒である。
「4番、サード長嶋」とは、ミスターの名が永遠に語り継がれる存在だと改めて認識させていただいた今日の日だった。