「四面楚歌」という言葉があるが、「市免訴歌」というような状況に陥っているのが我が大阪の市長のようだ。
一連の発言問題から広がり、「訪米を中止せよ」という市民団体が訴えたと思ったら、中止を発表したら「キャンセル料を自費で」と訴えていた。
また、弁護士会の一部と呼び掛けに応じた市民団体が「懲戒」を求める動きもあったし、市議会でもそんな提起が行われたニュースもあったが、女性の国会議員の一部からも追及する会見の様子が報じられていた。
彼の周囲にアドバイスをする人物が存在しなかったのだろうかという意見が多いが、これまでの行動からすると絶対に折れるような性格ではないようである。「結果は選挙で」と言うのが彼の持論だが、維新の会内部からも危機感を訴える意見が多いようで、このままでは間違いなく惨敗と予想されている。
政治に携わる立場は「言動」が武器であることは確かだが、発言に責任を持たなければならないのは当然で、誤解を生じさせることも含めて発言に神経を遣わなければならず、今回のシナリオの拙さには同情すら感じてしまう昨今である。
関東地区の梅雨入りが発表されたが、彼に梅雨明けが訪れることを期待する人も多い筈。「誤り」を「謝り」に意識改革出来るかが重要で、市政改革が停止している現実を踏まえ、市民の益になる「市政」の行動「姿勢」を望んでいる。
人生とは一つ歯車が狂うと取り返しの付かない支障を来すことも多いが、時計の針を戻すことは出来ないのは誰もが知る常識。故に「被害者になるな」「加害者になるな」という私の口癖が生まれた背景でもある。
事故を起こさないように運転をしなければならないし、事故を起こして謝罪しなければいけないのも常識ではないか。そこで開き直られたら誰でも怒りを覚えると同時に人格を疑うのも当たり前である。
彼には多くの子供の存在があるが、そんな子供達を悲しませたことは残念である。そこで自身が市長の前に「父」であり「夫」であることに立ち返り、客観的に捉えることになれば事の重大性が認識されるだろう。「才」があることは確かだし、「際」も「再」もあると伝えたい。ただ言う側と言われた側の「差異」だけは理解するべきだろう。