北海道の釧路で、酒気帯び運転で幼い子供を死亡させた交通事故のニュースがあったが、運転していたのは会社役員だそうで、まだこんな問題が起きるとは信じられない話。被害者となった子供さんとご遺族と呼ばれるようになってしまったご家族のご心情を拝察申し上げ、ただお気の毒と手を合わせた。
一方で、パトカーに追跡され、ガレージに入ろうとしていた車に衝突、助手席の女性が死亡するというニュースもあったが、これも逃げた原因が飲酒運転だったというのだから最悪。法を順守出来ない性格は「人」としての心に欠陥があると言うべきだろう。
様々な仕事にはプロや匠と称される存在があるが、その人達に共通していることは「素人である『お客様』から指摘をされること」を何より恥と考えること。それらは自分の仕事に誇りを抱く証しとも言えるが、運手免許証を取得してハンドルを握る際、車が走る凶器であることを理解し、「被害者を出さない」「加害者にならない」意識を抱いてから発進して欲しいと願っている。
事故を起こすと後悔することになるが、人生とは「反省で済む範囲内」で考えたいもの。我々葬儀に携わる立場は、そんな悲しみの光景をいっぱい体験してきたこともあり、ハンドルを手にするスタッフに「絶対に事故がないように」と煩がられるぐらい声を掛けている。
酒気帯びの状態で車を運転する人は、他人に厳しく自身に甘い性格と分析され、それだけでも恥ずかしい人格と指摘されるのだが、それで被害者を出す事故を起こすなんて羞恥の極みと考えるべき。「そこまでだから」「ちょっとだけだから」なんて心の甘えが後悔の階段の出発点にあることを心したいものである。
昔、交通事故で亡くなられた方のお通夜で出来事。若い加害者の両親が謝罪を兼ねて参列されていたが、言葉を掛けられた被害者のご家族は「命を返してくれ」と叫ばれ、焼香も許されなかった時のお声が、今でも鮮明に記憶の中に残っている。
加害者には法の裁きで判決が下るが、どんな結果となってもご遺族側の時計は停止したまま。亡くなられた方の年齢をいつも数えているというケースも少なくないし、被害者となられたご主人の靴を毎日磨かれているという悲しい話があることも知って欲しいもの。
悲しみを癒すには時間しかないと言われる言葉もあるが、そんな簡単ではないのが人の世の悲しみの現実。確かに生前の「思い出話」が薬となることもあるが、悲嘆の世界は体験した人にしか理解出来ない問題であり、我々の仕事は「悲しまれる環境と時間」を大切に考え、「少しでも不幸でないひととき」をプレゼント申し上げる仕事なのである。