著名な俳人のお葬式を担当したことがあるが、参列者が詠まれた追悼の句がいっぱい寄せられ、式次第の中で代読させていただくひとときとなった。
五七五の十七文字の世界だが、五七調で読む和歌の世界よりも情感が伝わり難いので難しい。
葬儀が終わっていよいよご出棺の場となった。喪主さんを中心にご遺族が並ばれてご挨拶。それが終わるとフォロー申し上げるのが我々司会者の重要な仕事。その日は冬の最中だったが陽射しがあって珍しく気温が上昇していた時間帯だった。そこでちょっとサービス精神で思い浮かんだ俳句を披露、そんな思いでご出棺と結んだ。
「人徳の 春うららかな仏かな」という句だったが、いつどこで覚えたものかは分からなかったが、ふと出て来たのでそう言っただけなのに、葬儀が終わってから句会の皆さんからいっぱい質問されて参った思い出でもある。
著名な方々が詠まれた追悼の句を学んでおくことも大切だが、時には歴史で知られる方々が詠まれた辞世の句を知っておくと葬儀の司会者として役立つこともある。
「この世ばどりゃあ暇(いとま)に線香の煙とともに灰左様(はいさよう)なら」
これは「十返舎一九」の有名なものだが、この世を出立される瞬間までこんな句を考えていたのだろうかと思うと、昔の人は凄いと知ることになる。
「嬉しやと再び覚めて一眠り 浮世の夢は暁の空」
これは徳川家康の句だが、天下泰平の礎が感じられるような言葉である。
「極楽も地獄も先は有明の 月の心に懸る雲なし」
これは「上杉謙信」の作だが、当時の武将は仏教に帰依していた人も多く、造詣深い人達が少なくなかった。出家して僧籍を持するケースも多くあったようだが、そんなことから思い出すのが「小の月」「大の月」に関して伝えられる言葉だった。
「小の月」は2・4・6・9・11で「西向く士」となるが、「大の月」は1・3・5・7・8・10・12で「いざ五七夜の十王」となり、続けて「西向く士生尽きて、いざ五七夜の十王経」となるものである。
十王というのは「あの世」の裁判官のことで、初七日から四十九日までの七人と百箇日、一周忌、三回忌の追善を担当する3人で合わせて10人となる訳だが、こんなことを背景に書いたのが愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」という小説で、それは30年前の出来事だったので懐かしい。