かの有名なシェークスピアが「神は我々を人間にするために、何らかの欠点を与える」という言葉を残している。血圧の高い人に、睡眠導入剤を服用して就寝する習慣があるケースがあるそうだが、彼はそれらに対しても見事な言葉を残している。
「快い眠りこそは、自然が人間に与えてくれた優しくて懐かしい看護婦(師)である」
劇作家というのはやはり普通の人ではない発想をするものだと感心するが、詩人や先人が残した名言は心の扉を開けてくれるものである。
ブルーストの言葉に「幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ」というのがあり、葬儀の司会のフレーズの「人は辛い思いをしただけ人に優しくなれる」につながった歴史がある。
ロマン・ロランは「幸福とは魂の香りであり、歌う心の調和である。そして、魂の音楽の内で一番美しいのは慈愛である」と書いているが、私は「慈」という文字が好きで、過去に監修した葬儀音楽オリジナルCD「に「慈曲」というタイトルを命名してくれた人物に心から感謝をしている。
前にも書いた中国の有名なことわざがある。「三つの不幸がある。若くして父を喪うこと。中年にして妻を喪うこと。老いて子なきこと」だが、担当させていただいた多くのお葬式の中には、もっと強い悲しみが伴うご不幸も少なくなかった。
昔、石川啄木の作品を読んだことがあるが、そこに印象深い一文があった。
「我々が書斎の窓から覗いたり、頬杖を突いて考えたりするよりも、人生というものは、もっと広い、もっと深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである」
この文を読んでいた時、最後の融通が「きかない」という否定になっていなかったことにびっくりしたことを憶えているが、それは今でも同じで変わっていない。
過去に卓球の元世界ナンバーワンだった中国の「荘則棟」氏の言葉を書いたことがあった。それは、「まだ練習を続けるのですか?」と呆れた選手達に掛けた言葉で「生きている内にそんなに寝ていたら、死んでからどうするのか?」というものだったが、心から卓球を愛された人物らしいお言葉であり、氏が大阪府立体育館で親善試合をされていた光景が鮮やかに蘇えって来る。
歴史に残る「ピンポン外交」の当事者となられた人物だったが、文化大革命で予想もしなかった辛苦の時代を過ごされたことも知られ、卓球の試合中継を観る度に思い出してしまう。