広島県で起きた少女の殺害事件、6人も逮捕されることになって衝撃を与えている。これまでに何十回も書いた「被害者になるな」「加害者になるな」という言葉だが、「命の教育」が出来ていなかった「歪」を顕著に物語る出来事のように思えてならず、大人の一員として忸怩たる思いを抱いている。
被害者にも「遺族」と呼ばれることになった「家族」がおられるが、加害者にも家族の存在がある筈。どちらも衝撃を受けているだろうが、親戚など周囲の人達も辛苦の思いを抱かれているだろうと想像する。
我々が従事する葬儀の仕事だが、事故や事件の被害者を担当することは想像を絶するストレスを伴うもの。「なんでこんなことが」といつも虚しい思いを抱いていた。
航空機事故の犠牲になった方もおられたし、外国で不慮の死を遂げられてしまった方もおられたが、幼い子供の交通事故のケースは今でも忘れられない悲劇の式場空間だったことを、ハンドルを握る全ての方々に訴えたい思いである。
身寄りもなく、たった独りで送られる寂しくて悲しいケースが月に数人おられる。お寺様とスタッフだけの焼香となるが、何処でお生まれになってどのような人生を歩まれて来られたのだろうかと思いが募る。
「数多(あまた)」の送り行く人々と、たった「独り」送られゆく人」とういう司会のフレーズがあるが、自分が送られる時の光景を思い浮かべてみるのも大切なことだと伝えたい。
立ち寄った蕎麦屋さんで、過日に葬儀を担当させていただいた方のご親戚の方からお声を掛けられた。ご丁寧なお礼の言葉に恐縮したが、お独りで生活されていた故人の住居を整理され、弊社のスタッフのアドバイスから数社の回収業者に見積もりを願い、清潔な感じのする担当者の会社を選択されたそうだが、少し割高だったけど、後始末の掃除が行き届いていたのでご満足されたそうだ。
どんな業界でも「人」が最も重要である。特にサービス業に従事する立場では厳しく求められるのは当たり前。「葬儀社は最たるサービス業」「司会者は究極のサービス業」というのが私の仕事に於ける哲学だが、それを理解してくれるスタッフが存在すればそれこそ「人<財>」となるだろう。
猛暑が続いている。お通夜やお葬式に参列される方々も大変だろうが、来月のお盆の時ならもっと大変だ。お寺様のスケジュールも大変だし、全国から移動される交通機関や高速道路の渋滞が予想されるからだ。
葬儀はゴールデンウイーク、年末、年始も関係なく訪れること。お客様も大変だが我々も大変で、最も苦労するのが取引先の休業。それによってサービス提供の一部が低下しないように努めたいものである。