ニューヨークで旅客機が前輪が出ないまま着陸をしたニュースがあった。十数名が負傷されたそうだが、火災が発生しなかったことが幸いだった。
友人が高知空港で前輪が出ないで胴体着陸をしたボンバル機に搭乗していた出来事があり、その恐怖の体験談を聞いて自分に置き換えて考えたら余計に飛行機を敬遠することになったが、出来るだけ新幹線移動を考えたい。
新しいLCC格安航空会社が誕生するニュースがあった。宮崎から福岡と、宮崎から松山を結ぶ路線だそうだ、松山便はきっと利用客が多いと想像する。
昔、今では想像も出来ない距離を車で走行した体験がある。朝に大阪を出発。山陽道を経て瀬戸大橋を渡って四国へ入り、そのまま松山に向かってホテルで講演そのまま宿泊。次の日の朝、大雨の中を八幡浜へ。そこからフェリーで別府へ。高速道路で由布院、日田を経て久留米から熊本へ。そこで講演を担当して午後6時頃に出発。九州自動車道から中国道を経由して大阪へ戻ったのが午前2時過ぎ。2日間で約1500キロの走行だった。
50歳になったばかりの頃だったし、車が嫌いではなかったから出来たことなのだが、松山から福岡へ向かう飛行機の利用を避けるための行動で、振り返れば自分でも考えられない行動だった。
もう車を運転しなくなって長いが、敦賀からフェリーを利用して北海道を車で走行したかった夢は叶わなくなったが、それだけに北海道の列車事故の多さが気になるのである。
列車の準備が間に合わず、運休している特急列車も数本あると知ったが、この夏に旅行予定のある方々には甚大な迷惑を及ぼすだろう。
北海道から沖縄まで全国各地に行けたことは恵まれた人生だが、奥尻島、小笠原、佐渡島、隠岐の島、対馬の地に行ったことはない。今生にある内に訪れてみたいとは思うが、これまでに出会った人達への感謝の行脚もしなければならず、重い責務を感じることで余命を長らえることになるかもしれないと考えている。
病室の白い天井を見ながら思い浮かぶのは人生の歴史ばかり。そこに「たい」という欲望がなければこの世から「さようなら」となる。今日が残された最後の1日だと考えると人は何をするべきなのだろうか。一度はそんな立場で見つめ直すことも大切だろう。
前にも書いたが、「食べたい」「行きたい」「見たい」「会いたい」などの「たい」という欲望は、言葉という特別なものを与えられた人間だけが表現出来る世界であり、それらが「生きたい」から感謝して「生かされたい」となったらそこそこの年齢だと言えるだろう。