喫茶店で会う知人に元警察官がいる。私より少し若いが、定年を迎えるまで奉職していた生粋の警察官人生だったので、彼から聞く話には興味深いことが多く、常連客の中で歓迎される存在になっている。
そんな彼から聞いた話で信じられない事件があった。路上に駐車していた車の助手席のガラスが割られ、その音から気付いた人が犯行に及んだ人物を目撃、それが近くに住む中学生だったところからすぐに通報されて補導されたそうだが、その動機に衝撃を受けることになった。
ダッシュボードにタバコが置かれてあるのを見て、それを手に入れるためにガラスを割ったというもので、こんな子供達が存在している事実に驚くと共に、彼らが無免許で車やオートバイを運転し、事故を起こしてもそのまま逃げてしまう事件の多さに、根深い病んだ社会の現実に憂いを感じる客達だった。
そんな会話の中で続いて私の話が話題になり、「あの世」の教育の重要性について盛り上がることになった。
常連客の中の3人が私の書いた小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」を呼んでいたこともあり、「あの世」の存在を信じることが勧善懲悪の基本となるなんて結論に至り、私の口癖である「被害者になるな」「加害者になるな」の考え方に賛同してくれることになった。
「命の教育」と「あの世の教育」はすぐにでも取り組むべき重要なテーマで、最近の凶悪犯罪の実態や「オレオレ詐欺」や「ひったくり」事件の多発を考えると暗い将来は否めず、日本の誇りであった筈の「恥の文化」さえ消滅してしまうような感を覚える。
事故や事件の被害者の葬儀を担当すると、いつも時計の針を戻すことが出来ないのかと嘆く空気に包まれるが、日々の新聞やテレビのニュース番組には悲しい事件報道のオンパレードが続いている。
学校の「いじめ問題」から自ら命を絶ってしまった悲しい出来事も一向になくならないし、そんな葬儀の場で「教訓に」「二度と繰り返しませんから」と誓いの言葉のような教育者の形骸的な弔辞を耳にすると腹立たしい限りで、「命の教育」が欠如しているように思えてならないこの頃である。
飲酒運転も後を絶たない現実がある。それで事故を起こしてから後悔をしてもどうにもならない。前にも書いたが「プロとは反省はするが後悔はしない仕事をする」と言われている。人として「この世」で生かされるなら、少なくとも後悔しない人生でありたいもの。ここにも「被害者になるな」「加害者になるな」の言葉が問われるだろう。
悲しい葬儀を体験したプロ達が思いを集約して「飲酒運転の撲滅」や「命の教育」「あの世の教育」を本気になって推し進めている。その組織団体の名称は「日本トータライフ協会」だが、大災害に備えて「病院船」や「火葬船」の建造についても積極的に活動している。
ご興味があれば、「日本トータライフ協会」と検索され、「HP」をご笑覧いただければとご案内申し上げます。