昨日の号で書いた「病院船」と「火葬船」のことを発想したのは阪神淡路大震災での体験からだった。犠牲になった方々が6000名以上もおられ、検視官の不足という問題も表面化したが、阪神間の自治体の火葬施設の被害やアクセス道路の損壊からどうにもならず、日に日に大阪市内でも受け入れ態勢が限界になり、自衛隊のヘリコプターで八尾空港に搬送され、そこから大阪市内の火葬施設で対応したところから、犠牲者以外の葬儀で火葬するのに8日間待ちという事態に陥った出来事もあった。
また、自治体の条例の中に「市民以外は火葬出来ない」というのもあり、行政の混乱からトップ同士の話し合いにも支障を来し、どこでも想定外の問題として想像を絶する現実もあったのである。
弊社が加盟する協会のメンバーに神戸の同業者がいるが、犠牲者の内の2千数百名の方々の対応をされ、1ヵ月の間、全社員が会社に泊まり込みでハードな体験をされていた。
協会の研修会でそんな体験談を拝聴したが、それは涙なくしては聞けない悲しい物語もいっぱいあり、彼はメンバーから「悲しみの語り部」と呼ばれるようになった。
あの時に「病院船」と「火葬船」があったらと思ったが、そんなことを訴えてもどの政治家も票につながらないことはしてくれず、今日まで実現に至っていないが、何度も入院した病院の病室で天井を見ながら、残された「この世」での時間を「命の教育「あの世の教育」に併せて取り組もうと考えた。
過日に「幸せ列車」のコラムに書いたが、「あの世」の存在を信じるだけで加害者も被害者も激減することになる。弱者をターゲットにする犯罪も少なくなるので始めたいものだが、社会学者や教育者でない我々葬儀屋が訴えるので話題になっているようだ。
いくら交通標語を募って「飲酒運転撲滅」を訴えても、大学教授、医師、警察関係者も摘発されるのだから始末が悪い。そんな被害者の「お通夜」や「葬儀」の場がどれほど悲しい光景があるかを知るだけでもハンドルを手にする思いに変化が生じる筈。そんな体験から「飲酒運転撲滅」と「いじめ問題撲滅」も提起することになったのである。
高速道路の逆走も増えたし、ブレーキとアクセルを間違えて事故に至ったケースが後を絶たないが、「もしも」という最悪の想定を考えれば随分と事故も減るだろうし、誰もが自身に厳しくなれる筈である。
過日に我が家の近くの疎開道路で信じられない事故が起きていた。深いご仏縁のある知人の店舗に、車が玄関を突き破ったという恐ろしい出来事だったが、その数日後に今度は20メートルほどしか離れていない場所でトラックが歩道の境界になっている縁石に乗り上げる事故も起き、近所の方々が「二度あることは三度ある」という格言を思い浮かべながら恐怖感を抱かれている。