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思い出から  NO 3377

 かつてライオンズクラブの一員の時代があった。35歳で入会し、大病を患うまで在籍していたが、健康上の事情から退会をした。

 約25年間の在籍だったが、ナレーターが本業ということからフェスティバルホールや中央体育館で行われた近畿の大会で物故者追悼のナレーションを担当したことがあり、創作したオリジナルの原稿をあちこちから所望されて困った思い出もある。

 中央体育館でナレーターを担当した際、想像もしなかったハプニングが起きた。照明のプロスタッフを入れた本格的な式次第を組み、全ての窓を暗幕で外光が入らないようにしたのはよいが、リハーサルの時は問題なかったのに、いざ本番となって私のナレーションの出番となった瞬間、陰アナの手元を照らすライトまで消してしまったのだから原稿が全く見えなくなってしまった。

しかし、自分の創作の原稿なので、日頃の仕事で使っていたシナリオを思い浮かべながら適当につないだら、何とかうまく進んだので安堵したが、そのハプニングに気付かれた照明の監督さんが謝罪に来られた際に、どんな方法で原稿が読めたのかと問われ、事実を伝えると驚愕され、それも私の伝説のひとつとなっている。

 同じクラブの先輩メンバーに税理士さんがおられた。毎年恒例のゴルフコンペで宇部カントリーへ行った際に同伴競技者としてラウンドさせていただいたが、先生はその後近畿税理士会の会長から全国の会長にご就任されていた。

 一泊で遠征ゴルフコンペが開催され、大型バスで中国道を走って岡山方面へ行ったことがあったが、仕事の都合で日帰りを余儀なくされたところから私だけ自分の車で出掛けた。

 途中で立ち寄ったサービスエリアで休憩中、先生が「あの車を運転させて欲しい」と言われ、もう一人のメンバーと私の車に乗られ、次に立ち寄るサービスエリアまで私はバスの方へ乗った。

 その数年後に先生のホームコースにご一緒した思い出もあるが、所属していたクラブには3人の税理士さんがおられ、皆さんゴルフを楽しまれていたことが懐かしい。

 メンバーの中にハンディキャップが「0」という人物がおられた。九州遠征コンペにご一緒したこともあったが、彼はホールインワンを7回も達成され、その内の4回が公式競技というのだから驚きである。

 7回目のホールインワンを達成された時、記念のパーティーが開かれたが、その際に保険会社の人物がスピーチされ、「我々の業界ではホールインワンの発生は事故と考えており、7回もされたら最悪なのです」とコメントされて会場が一気に湧いた出来事も忘れられないことだった。

 また、別のメンバーがABCゴルフクラブで行われたコンペでホールインワンを達成。記念のパーティーで参加者全員に「パター」を記念品としてプレゼントされたことも語り継がれている。

 そうそう、前述のハンディキャップ「0」の彼とは、9クラブ合同の貸切コンペで同伴し、他クラブのお二人とご一緒したが、パー「3」で珍しい出来事が発生した。他クラブの人物がOBかセーフか分からない茂みの近くに打ってしまい、暫定球と宣言して打ち直したら、何とそれがカップインしてしまい、その光景を隣のホールからボールを探しに来られていたキャディさんが目撃されたのだから大変な騒ぎに。クラブハウスに戻ると「ホールインワンおめでとう」と祝福されることになってしまっていたからで、「実は暫定球だったのです」と説明されるのが気の毒だった。

 因みに第一球がセーフゾーンにあり、ルール上から暫定球のカップインは認められず、難しい所からだったのでダブルボギーとなってしまい嘆かれていた。

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