本館で行われていた知人のお通夜に参列。会社とご当家の合同葬という形式で進められていたが、地域の重職にある方々が大勢ご弔問に来られていた。
そんな中にどうしてもお詫びをしなければならない女性に姿があった。8月の初めに緊急入院してしまったところからご主人のお通夜、お葬式に参列出来なかって申し訳なかったからで、ある方の葬儀式の中で「お別れの言葉」を奉呈申し上げた際、偶々その方がおられ「私の時にも頼んでおくぞ」と言われ、私の方が先に逝きますからとやりとりしていたことがあり、そのことに触れたら奥様がウルウルされたので私の方も悲しくなった。
また、ご主人が急逝されてしまった奥様も来られていた。ご主人は北海道のご出身で、メモリアルボードの中に羊蹄山をバックに撮影された写真が印象に残っており、来月に北海道に行ったら手を合わせて来ますと伝えたら「有り難う。おねがいね」と返された。
「先日はお世話になり」と恐縮するぐらい丁重にお礼を頂戴した方もおられた。数日前にお父様の葬儀を担当させていただいたご仏縁があったからだが、私は病院に行く日だったので参列出来なくて申し訳なかった。
ご両親を送らせていただいた方、ご伴侶のお葬式を担当させていただいた方など多くのご仏縁のある方々が来られていたが、離れた地域のトップの方が私を見つけられ、「会長、70才にしては元気だなあ」と言われてびっくりし、「戦後の生まれで66才ですよ」と返すと「スタッフの人に聞いたら70才と言われたので」と申し訳なさそうな表情をされたが、ご本人のお年を伺ったら同じ干支で一回り上だと知ることになった。
警備担当のスタッフが多く入っていたが、式場の裏側の方へ行こうとすると「玄関はあちらです」と案内された。どうやら暗くて見えなかったようで、明るい所で確認すると「失礼いたしました」と言われることに。
ご自宅近くから送迎バスが運行されていたが、健康のために往復歩くことにしたのはよいが異常なほど気温が高かったので大変だった。
大切な方を亡くされた方を慰めるには、故人の昔話が最高だと言われており、我々葬儀を担当する立場の人間は、悲しまれている事実を目撃していたことになり、悲嘆に暮れられるご遺族からすれば郷愁の対象ともなると言われ、非日常的な生活を過ごされている中で大きな役割を担うことも知っておきたいものである。