昨日の号で書いたテレビ番組、私が話した半世紀前に味わった「醤油味」の「たこ焼き」が試行錯誤され、個数限定で販売されることを知ったので嬉しくなった。
数日前に彼女から電話があり、「醤油味もやりますからテレビ観てくださいね」と言われたが、テレビの番組とは編集されるので、もしかしたら外されるかもと思っていたら、後半の部分で集中的に採り上げられていたのでびっくりした。
彼女との不思議なご仏縁については今日の高級葬儀の「独り言」に書いたが、阪神淡路大震災から少し経ってのことだったので印象に残っている。
気仙沼に立ち寄って18年振りぐらいで再会したのは昨秋のことだったが、番組を観ながら食べたくなり、元気な内にまた訪れたいとの思いが生まれた。
何度も書いたことだが、齢を重ねると「行きたい」「食べたい」「見たい」「聴きたい」「会いたい」など「たい」という欲望が薄くなったら「あの世」が近くなる。それからすると私には全国に「会いたい」人がいっぱいいるのでもう少しこの世に執着出来そうである。
「出会ってくれて有り難う」を伝える行脚の旅は、私の遍路とも言えるだろう。過去にそんなことを「独り言」で書いたら「いつ来られますか?予定が決まったらお知らせください」というメールがいっぱい届いたのでびっくりだった。
今日の番組を教えていた人や、コラムなどで知られてご覧になった方々から電話も頂戴したが、話の種になる話題があることは幸せなこと。楽しいことを共有することは素晴らしいことだし、私の仕事である「悲しみ」の世界は周囲の方々に辛い思いを語られることで少しでも和らぐことになる。
我々の仕事で重視したいことは「悲しまれる」環境を大切に考えること。口癖みたいになっているが「大切な人」の「大切な儀式」に「大切な宗教者」を迎える環境づくりに欠かせないのが「会場空間」を「儀式空間」として「神変(しんぺん)」させる必要性。そんなところから発想したのが「奉儀」というオリジナルな世界だが、いつの間にか全国に広まっている。
これについては「独り言」の中で過日に書いたが、ただ真似をするのではなく、そこに至ったプロセスを学んで理解して欲しいと願っている。
関東に在住する孫から電話があった。テレビの天気予報を見たらしく、「大阪に雪が降るそうよ」と教えてくれた。深夜から冷え込みが厳しくなるようだが、お通夜やお葬式に参列される方々に影響が及ぶと大変である。