9月1日は1932年に発生した関東大震災の日から「防災の日」となっているが、テレビのニュースを観ていたらびっくり。防災の専門家が全国で最も地震による火災の危険性がある地域として、我が生野区が指摘されていたからである。
幅の狭い道が多く、消防自動車も通行出来ず、初期消火の重要性が何よりと言われているが、大地震が発生したらしばらくするとあちこちから火災が発生する危険性が考えられ、関東大震災時でも犠牲者の9割の人が火災の被害に遭っていた事実を紹介していた。
日頃に家族と避難経路や避難先や落ち合うところを決めておくことも重要だが、行政では地元の学校や公園を指定しているケースが多いが、集まる人数のこと、また樹木の存在を考慮すると安全とは言えないところもあり、そんな場合のことも考えておくことが必要である。
喫茶店の常連さん達と防災の避難について話題が出たことがあったが、私が提案した高架の駅から安全な方向へ逃れるというのに興味を抱かれた方も多く、その中に避難先としてJRの貨物駅である「百済(くだら)駅」と決めていた人もいた、
百済駅は東住吉区の国道25号線「杭全(くまた)町」交差点の北側にあり、今里筋に面していてコンテナがいっぱい置かれている広い場所であり、我が家からも歩いて10分ほどで行けるので候補地として覚えておきたいところである。
昔、JRが国鉄と呼ばれていた時代、関西線は高架ではなかった。百済駅も天王寺駅に近い所にあり、現在の高松小学校のちかくだったことを記憶している。
私が幼い頃、国道25号線に関西線の踏切があり、すぐ西にある川に沿って数段階段を降りて通路があったことを憶えているが、蒸気機関車が上を通過すると熱い湯が落ちて来るので気を付けなければならなかった。
中学生になる頃まで国道25号線の踏切のすぐ西まで市電が走っており、百済駅が終点となっており、複線から単線に入って逆の方向へ向かうシステムになっていた。
百済という地名は四天王寺建立のために来日した隣国の人達が命名したとも言われるが、「杭全」「瓜破(うりわり)」「喜連(きれ)」などもそうだと伝えられており、歴史を遡ると興味深い事実を知ることになる。
さて。東京オリンピックの一連の模倣問題を白紙撤回する報道もあったが、「独り言」のコラムでは表面化した時点に「世界の恥だから止めるべき」と書いていたが、委員会、都知事、官房長官が揃って「問題ない」と発言していたことが腹立たしかった。
都知事が今日のインタビューに「前々から疑問を感じていた」なんて発言していたが、こんないい加減な人物が知事とは改めて驚くことになった。
国立競技場も白紙撤回となったし、続いてエンブレムも同じ撤回になってしまった。「お・も・て・な・し」が話題になった招致のプレゼンで総理が「福島は完全にコントロールしている」や「競技場もこれまでにない物を」なんて発言していたことが恥ずかしく思えるが、我が国がいつから羞恥心が希薄してしまったのだろうかと嘆く昨今である。