浄土真宗の代表的なお経に「正信偈」があるが、葬儀の司会者達はこの中の「五劫思惟」と部分から焼香を案内するのが基本的なことである。
落語の「寿限無」の中に「五劫の擦り切れ」という言葉が出て来るが、「劫」という文字は時間を表わすもので、一説によると水浴びされるために3000年に一度天から舞い降りる天女の衣で湖の岩が擦り切れてなくなる機関というのだから、それこそ気の遠くなる話である。
ヒンドゥー教にあって1劫は43億2000万年とされており、仏教で調べてみると八大地獄に「無間地獄」があって、その刑期は人間界の6400年を1日とし、それが6万4000年というのだからびっくりだが、ある学者が計算したら34京2413兆4400億年と紹介していた。
奈良の東大寺の末寺に「五劫思惟阿弥陀座像」が秘仏として存在していることも知られているが、「劫」という文字の不思議な意味に興味を抱いてしまう。
囲碁の世界に「劫」というルールが存在しているが、我々ヘボ碁のレベルで劫を仕掛けることは難しく、高段者を相手にした時に仕掛けられて衝撃を受けることになる。
囲碁には布石、試金石など経営哲学につながる言葉も多く、経営者は囲碁を学べと指導された歴史もあるが、高段者から「うってがえし」「おいおとし」「石の下」などで一気に萎えてしまうこともあるし、仕掛けられた「劫」が相手にとっては全くの「花見劫」になっているケースもあり、そんな場合は出来るだけ早く解消して損害を最小限にしなければならないが、ヘボ碁のレベルではこれが分からないのだから始末が悪い。
生き死に絡む「天下劫」というのもあるし、「二段劫」や「万年劫」というのもあるが、高段者はいつの間にか仕掛ける態勢を整えており、「劫だ!」と気付いた時にはお手上げ状態というケースが多い。
生きていると思っていた部分が「生き死に」が絡んで急展開に激変する。仕掛けた方は全てが計画通りに進めているが、知らなかった方はどんどん深い傷を負って沈んで行くことになる。
囲碁とは奥深い世界がある。NHKでプロの対戦を観ることがあるが、大盤開設をされているプロの話に驚くことも多い。