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有為転変  NO 3259

「独り言」とこのブログの両方を発信し、「幸せ列車」のページにも書いているところから「呆れる」とか「よくやるわ」なんてメールを頂戴しているが、しばらくは継続を目指して努力したいと思っている。

 齢を重ねて「生かされている」と考えると、この世にいる内に記しておきたいことが山ほどあることに気付き、果たして残された時間で終わることが出来るのだろうかと思うようにもなった。

 最近に知り合った方から、これまで綴った中から過去の入院体験を知られ、「奇跡みたいに戻って来た人」なんて言われたが、過去に救急車で運ばれたことが4回、入院体験が7回もあるのだから「生かされている」不思議に手を合わせるのは当然だと思っている。

 昨日の「独り言」では脳疾患と心疾患の参考知識になればと書いたが、結構周囲で起こり得る問題なので知っておきたいテーマである。

 さて、古き戦国時代、時の権力者は庶民の団結を恐れ「3人以上寄れば一揆と看做す」という触れを出し、厳しい統制を敷いた歴史があるが、仏事法要に関しては例外としたことから法要が活発になったという説もある。

 ニュースの解説の中に北朝鮮でも「3人以上集まってはならない」という統制が行われているようで、権力者というものはそんなにも他人を信じられない孤独で寂しいものなのかと思った。

 ボストンマラソンでテロと言われるような爆発事件が発生、「戦争と宗教は人を変える」という言葉を思い出しながら、今こそ仏様の教えを尊重するべきではと改めて考えさせられた。

 イランとパキスタンの国境近くで大地震が発生、多くの犠牲者が出たというニュースもあったが、土曜日に淡路島を震源とする大きな地震を体験した後なので、その怖さを再認識。何度かに分散して小さな地震でと手を合わせた。

 阪神淡路大震災が発生した時、まだ開通前だった「明石海峡大橋」が断層のズレから1メートル伸ばすことを余儀なくされた事実があるが、いやはや地震とは恐ろしいもので、今回に被害に遭われた方々の復興を願っている。

 学校の校庭に爪跡を残したような亀裂、また液状化現象の事象をニュースで目にして衝撃を受けたが、淡路島にも知人が多いので心配だ。

 今日も三宅島周辺を震源とする群発地震が発生していたが、収束してくれることを願っている。

 青森の病院で宗教上の理由から輸血を拒否し、手術中に亡くなるというニュースが報じられていた。宗教は個人の自由で尊重されるべきだろうが「故人」となってしまっては担当した医師達が複雑な後悔に苛まれることも事実で、信者しか理解出来ないことは想像以上に問題を秘めているような気がする。

 これまでの長年の仕事の体験には、理解出来ないことも多々あった。それはご遺体の処置に関する問題で、「読経をすれば遺体は変化しない」とか「信者が一心に祈れば遺体は変わらない」と言うもので、どちらもドライアイスの処置を拒否されたものだが、数時間経過して「我々の祈りが通じなかった」と電話があり、再訪問した思い出も少なくないのである。

 人が祈ったり信仰する姿は貴く美しいものだが、ちょっと過度になると自分を見失ってしまわれるようで、その先に悲劇が待ち受けていることさえ見えなくなり、「妄信」の「猛進」という世界に突入してしまう。

 医師を目指す人は、しっかりとした宗教観を学ぶ必要もあり、おかしな人達の考え方を論破したり納得させる説得力を有して欲しいものだが、ここにも「権利」と「義務」という問題の軋轢が存在することも事実である。

 近くの方のお通夜に行き、お寺様にご挨拶。焼香してからしばらくすると腰痛の兆候を感じた。午前中に医院へ行ったこともあり、無理をしたら大変と温めるために帰宅した。