東京のテレビ局から電話があり、葬儀に関することで質問を受けたそうで、その問題については「幸せ列車」のコラムに書いておいた。
昔、「隠れ家」と称する私の専用ルームが存在していた。室内にはテレビ、ビデオデッキ、コンポ、マイク設備、モニター、ミキサーなどが置かれてあり、そこでビデオ映像にBGMとナレーションを吹き込んだりすることが可能だった。
全国各地から研修を求めて来社される司会者の皆さんを指導する部屋でもあり、数え切れない人達を迎えたが、葬儀の司会者の世界では「憧れの部屋」として知られる存在であった。
テレビ局の取材も多かったが、実際にビデオへナレーションを吹き込む光景を見られて、「こんなに簡単に収録が出来て、音質も差し障りがないので驚きです」と驚嘆されたこともあった。
「取材なのですが」と電話があれば、必ず「隠れ家」までやって来なさいというのが私の姿勢。電話だけでは誤解が生じたり真意が伝わらない危険性があるので出来るだけ避けたかった訳だが、東京から取材にやって来た二人組の女性が、「こんな葬儀の世界があったなんて全く想像もしませんでした」と涙を流され、企画そのものを大きく変更されたケースもあった。
東京から高い交通費と時間を費やして大阪まで来られることは大変だろうが、来られただけの価値観があると確信しているからこそそう言う訳で、全ては体験から伝えていたものであった。
様々な番組に招かれて出演した歴史があるが、葬儀屋の立場が絶対に出演することが考えられない番組、それが「宗教の時間」で、正力松太郎氏が「この番組だけは民放の良心として放送するべき。CMも入れないように」と命じられていた読売放送の伝説的番組だが、葬儀専用音楽「慈曲」のCDが世に出た際に作曲者と共に出演したことは私の歴史の誇りでもある。
誇りと言えば新聞記事にも思い出がある。一面のカラー記事に弊社が掲載されたことがあるし、世知辛い世の中にこんな温かい話題がと社会面のトップ記事に写真入りで大きく採り上げられたこともあった。
我々葬儀社が一面に採り上げられるなんて「悪い問題の表面化」しかないだろうが、上場している大手葬儀社や大手互助会が悪いことで掲載されたが、弊社は歓迎される方で掲載されたのだから珍しいことだと自負している。