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思い出したこと  NO 3383

 三重県で中学生が殺害されたニュースがあった。こんな凶悪事件が次々に起きている現実に驚愕。絶対に「あの世」の教育を訴えなければならないという思いを強くした。

 事故や事件の被害者のお通夜や葬儀の光景は誰もが体験したくない世界があり、そこから逃げ出したいという人達も多い。葬儀社という仕事に従事していると、そんな担当したくないお気の毒なケースに遭遇することもあるので大変だ。

 今日のニュースで「事故や事件の被害者の家族の会」という組織が、文科省に問題提起している映像が目に留まったが、「いじめ」の問題でも「教育委員会」や「学校」側の保身的行動に強い疑問を訴えられていた。

「命を大切に」「命の教育」と文字で書いたら簡単だが、子供達にどのように伝えるかは簡単ではなく、葬儀業界のプロ達が「協会」を組織して真剣にその問題に取り組んでいる。

「あなたがもしも亡くなってしまったら、誰がどのように悲しむのだろうか?」
「いじめられて被害者になっても、加害者が生きていることはおかしくない?」

 そんな言葉を考えることも必要だし、昔、学校が荒れた時代に「問題児」を集めて話す機会があったが、その際に語り掛けた次の言葉が思わぬ影響を与えた事実があった。

「君達は、何歳でこの世を出立すると思うか?」
「君達が亡くなる時、それは畳の上だろうか?それとも病院のベッドの上だろうか?」
「君達が亡くなる時、看取ってくれているのは誰だろうか?君達の子供、それとも奥さん?」
「君達のお父さんやお母さんは何歳で亡くなると思う?」
「死んだら『この世』と『あの世』があると言われているが、君達は『あの世』を信じているか?」

 校長や生活指導の先生の話を一切無視していた彼らだが、上述の質問をした私の話には不思議と真剣な表情で接してくれ、先生達が驚かれていたが、そんなテーマで考えたことがこれまでになかったからとも言えるだろう。

「あの世」の教育とは「来世」の存在を信じることで、「この世」で悪いことをしてはいけないことを理解する訳だが、昔の爺ちゃん、婆ちゃんが言って聞かせてくれた話を今の時代に実践することが社会を大きく変化させることになると考えたい。

「道の中央を堂々と歩ける人生でありたい」
「来世に夢を託して出立出来る人生でありたい」

「夢半ば」「惜しまれてならない」なんて送る言葉を拝聴したこともあるが、人としてこの世に誕生したら上述の二つが全う出来たら立派ではないか。変なことばかり書いていると思われる方もおられるだろうが、「あの世」の教育は真剣に考えているテーマである。