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横着から慣習に  NO 3416

 10月を迎えても日中の残暑はまだまだ厳しく、陽射しを避けて日陰を歩く毎日であるが、また台風が近付いており、逸れてくれることを祈っている。

伊勢神宮で式年遷宮のクライマックスが始まった。神道の世界で神様を「遷す」とは暗い中で行われるものだが、その合図として斎主となる神職が鶏の鳴き声を真似るという昔からのしきたりが継承されている。

 友人や知人の中にも伊勢神宮へ参拝するという人達が多いが、近鉄の観光列車「しまかぜ」の予約が難しいところから、旅行会社の「しまかぜ」利用を企画する団体旅行に参加する知人もいた。

 さて、伊勢で思い出したことがあった。一昨年のこと、親戚の訃報から夫婦でお通夜に間に合うように午後3時頃到着の近鉄特急で行ったのだが、遺族は誰もおらず、「お骨揚げ」に行っていると留守番の人に教えられて驚いた。

お通夜を済ませ、次の日の朝にご出棺。お骨が還られてから葬儀という次第はあちこちの地方であるが、お通夜の前に火葬されてしまうというしきたりは聞いたことがなかったが、神道ばかりのその地域、通夜と葬儀が行われる式場側の予定でそうなったのではと疑問を抱いて帰阪した。

 葬儀は「人を集め、人を走らせる」という言葉を何度か書いたことがあるが、慣習の異なる親戚の人達が集まるところからややこしい問題に発展することも少なくなく、そこに本家や分家の問題がふくざつに絡み、時には想像もしなかった出来事に至ることもある。

 随分前のことだったが、ある70代の男性がご逝去。喪主を務められたのは一人娘さんだったが、地域の会館で執り行われたこの葬儀だったが、喪主さんが大変な辛苦に苛まれたご体験をされた。

 葬儀が終り、火葬場に行って納めて戻られると精進落としの「御斎」で会食が行われ、その後に「お骨揚げ」に行かれて戻られると「還骨」に仏事に続いて「初七日」の法要が行われるようになっているが、地方から来られた本家の人物が、「初七日にも御斎が付き物だ」と言われ、近くの仕出し店に親戚の人数分を注文されたからだった。

 同じような食事をしてから3時間も経っていないのに、また会食というのだから信じられない話だが、本家の人物は「供養だから」と頑なに譲らなかったそうである。

 30年ほど前、「還骨」の儀式に続いて「初七日」の法要を当日に行われることはなかったが、いつの間にか慣習に変化が生まれ、現在ではそれが当たり前のようになってしまっている。

 昔は、導師を務められるお寺様から「初七日は本来の日に」というご意見もあったが、また親戚が集まるのがたいへんだからとの送る側の事情から変化したようで、簡素化は様々な問題を秘めているような気がしている。

 これらの事態を顕著に物語るのが「巻き線香」というもの。お骨が還られてから四十九日間の「お線香」の「守」が大変だからと誕生したものだが、考えてみれば便利という横着から発案されたものなのに、いつの間にかお骨が還ったら「巻き線香」という常識さえ語られるようになっているからだ。