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時間への想い  NO 3265

 この数年の4月は悲惨な事故が多く、その全てが人災と考えられるのでお気の毒で記憶に残っている。

 2005年4月25日はJR福知山線事故で多くの犠牲者と負傷者がおられた。私は新快速に乗るのが嫌いだが、もしも経営する立場にあったら、現在の東海道線や山陽本線を走る新快速の最高速度の10キロ減速を命じるだろう。

 電車が単なる移動手段として所要時間を優先させる姿勢には大きな疑問を抱く。交通機関は安全が第一。命の重みを従事する全員に教育すべきである。

 昨年の今日4月23日は、亀岡で無免許運転による居眠り運転で通学していた子供達が被害者になった。あれから遺族と呼ばれることになった家族の方々の時間は止まったまま。それは、これからも動き出すことがないと拝察あると余りにも悲しい。

 昨年4月12日には祇園で暴走運転による多くの犠牲者が出た事故が起きていた。これも前述の方々と同じで悲嘆に暮れられる日々を過ごされて来ている。

 過日に団参で法然上人ゆかりのお寺に参拝したが、昨年の参拝は甲府にある甲斐善光寺だった。バスで中央道を走行したが、その日に関越道の藤岡ジャンクション付近で大型バスによる大事故が発生。テレビのニュースで驚いたことを憶えている。

 人間とはミスを犯すものだが、事故を起こしてから後悔するのではなく、起こす前に起きないように考えることも人間らしい行動。それを見失ってしまっては被害者に申し訳ない。「これまでに何度も書いた「加害者になるな」「被害者になるな」という言葉を大切にしたい。

 地震による被害も報道されている。また、浜松の茶畑の地滑りのニュース映像を目に衝撃を受けた。つくづく今あることがどれだけ幸運に恵まれたことかを思い知る。

 朝が来ない夜はない。春を迎えない冬はない。そんな言葉があるが、朝も春も訪れることのない方達がおられることも考えたいもの。

「幸せ列車」というHPでコラムを掲載くださっているが、過日にJR九州が企画して人気が高い列車のことに触れた。決してスピードを追求するものではなく、移動する中に「ゆとり」みたいなひとときを重視しているよう。秋から運転される「ななつ星」のチケット予約が大変で、高額な料金なのにプラチナチケットと呼ばれている。

 ゆっくり過ごすのを売り物にした観光列車「おれんじ食堂」の人気も高いし、1か月前から登場した近鉄の観光特急「しまかぜ」のチケット入手も大変だそう。これらは所要時間を追求する移動手段とは異質の発想に生まれたものだが、現在の鉄道が何か大切なものを忘れているような気がする昨今である。