墓石に文字を刻むことは簡単ではなく、石そのものの性質の分析や技術の進化には随分と時間を要し、庶民の墓石に文字が刻まれるようになったのは江戸時代だというのが一般的な説である。
海洋葬、樹木葬などの言葉が目立つようになったが、「葬」という文字が引っ付いているので誤解され易いが、それらは「葬儀」の形式ではなく「散骨」などによる「納骨」のことである。
少子化や独身を貫かれる方が多くなり、墓地や墓石を不要と考える人も増えたが、寺院の永代供養という世界を経て、そんな発想も生まれた社会背景があるように思える昨今である。
桜の樹の下に筒を埋め込み、そこに遺骨を納めるというケースが登場して見学に訪れる人も多いが、一方に無人島そのものを陵墓みたいにして納骨場所とする企画も登場して話題を呼んでいた。
葬儀という仕事に従事して長いが、ずっと疑問に思って来たことに大阪と東京に於けるお骨箱の問題だった。テレビドラマでご覧になったことや著名人の葬儀のニュースなどで目にされたことがあろうが、東京のお骨箱は胸に抱かれるほど大きく、大阪では一般的に言われる「お骨袋」だけというケースもあるからだ。
火葬された遺骨を全て収骨されたら東京のように大きな遺骨箱が必要だが、大阪ではお骨袋の他に分骨をされるケースでも小さなものを選ばれることが大半で、それらの背景に納骨所として知られる「四天王寺」や「一心寺」の存在も考えられるような気がする。
過日に俳優の「三國連太郎さん」の密葬のニュース映像を観たが、ご出棺前のご長男の胸に抱かれていたのは大きな遺骨箱。我が生野区には在日の方々が多いが、ご不幸があると全てのお骨を収骨可能な大きな物が準備されるのも常識となっている。
大阪市内の火葬場で販売されているお骨箱は、直径が「3寸(約9センチ)」から「7寸(約21センチ)」ぐらい。その上の「8寸(約24センチ)」となれば、葬儀社側で準備する対応となる。
大きさ問題から離れて、お骨をどうするべきなのかを考えてみると中々難しく簡単ではないことが分かる。最も説得力があるのは墓地で目にすることのある「五輪塔」に刻まれた文字である。梵字なので読めないが、「空・風・火・水・地」の意味だそう。「空」は意識で「心」なのでさておいて、残りの「4文字それぞれに「葬」の文字を続けたら、「四大葬法」になるのだからびっくりする。
「生あるものは大地に宿り、やがて大地に還って行く」という意味を表しているとも言われ、「地」に宿り、水子という言葉もあるように「母の胎内」を経てこの世に生を享け、体温を持ち、呼吸を始めて意識という心を持つようになる。これが誕生までの「道」で、その逆となるのが「意識」がなくなり「呼吸」が止まり、「体温」が「冷たく」なり、そして「水」になって「土」に戻ると言う思想である。
高僧が遷化された場合に「四大不調の砌」という言葉が用いられることがあるが、これも上記の「五輪」に因んだもので、「五輪」とは「五大」とも称されていることも知っておきたい。
さて、そんなところからすると、桜の樹の近くに埋める器の底は土に直結していなければおかしくなるが、こんな話題を幾ら話し合っても結論に達しないのだから難しいのである。
昔に読んだ書物の中で印象に残っていることがある。それは前述の「五輪」にもつながることかも知れないが、「眼・耳。・鼻・舌・身」という「五感」のことで、それに「心」をプラスさせると「観」になるというものだった。