過去に何度か書いたことだが、人生に於ける衝撃との出遭いを心理学的に分析した結果によると、第1位は「夫婦間に於ける子供の死」、第2位は「伴侶の死」、第3位は「一親等に於ける刑の確定」、第4位に「身近な人の死」となり、我々葬儀という仕事に携わる立場には、その内の三つが「死」に関することなので大変な重責を担っているとことになる。
第4位の「身近な人の死」は「両親」「兄弟」「朋友」「大切な知人」などになるが、ある専門機関が研究したデーターにびっくりする分析があった。
夫婦にあっての伴侶との死別という問題だが、夫を送るのが「85%」。妻を送るのが「15%」であり、そこからの存命率は男性「5年」、女性「20年」というのだから如何に男性という立場が弱いかを物語る数値でもあろう。
奥さんを亡くされたご主人が生き甲斐を失われたケースは多いが、一方でご主人を亡くされた奥さんが若返って変身されたケースもあるが、どちらも悲嘆に暮れられる人生を過ごされている方もおられ、それはご生前の絆やご逝去の迎え方に大きく左右され、簡単にご夫婦愛の絆という言葉で考えてはならないものである。
悲嘆というものは体験された人にしか理解出来ないものであり、「家族」がある日突然に「遺族」と呼ばれることになると、「怒り」「絶望感」「自責感」「孤独感」「著しい判断力の低下」「無気力」「虚脱感」「猜疑心」が強くなり、酷いケースになると「幻聴」や「幻覚」につながることもあり、瞬時に「鬱」状態に陥られることもある。
そんな悲しみの事実をお通夜やお葬式の場で知ることになった我々は、その目撃者として自然に「共有」の仲間関係が結ばれることになり、ここに「癒し」の重要な「思慕感」の背景を学んでアフターフォローに努めなければならないのである。
ご主人を亡くされた妻の友人がいた。お葬式を終えてから1年半ぐらい経過した頃に妻と一緒に食事をする機会があったが、そこでご生前の思い出話をすると涙を流され、蕎麦屋さんの店内で何か複雑な空気が流れた出来事もあった。
透明の涙の成分は真っ赤な血液だそうで、それが流れ出ることによって心身をガードする作用があると教えて貰ったこともあるが、それが「涙は悲しい時にだけ流れ出るものではありません。涙は感情が極まった時に生まれ表れるもの。人が生かされている。生きなければならない証し、輝きなのです」なんて司会のフレーズに至った歴史もある。
社会は、今、ゴールデン・ウイークを迎えている。ペットを飼っていると1泊旅行も難しいが、最近は、ペットと共に宿泊可能なホテルや旅館が増えた。そんな業界も多様化の波が押し寄せたようだが、物流業界の大手グループがペットの葬儀まで参入し、もはや何でもありという姿勢を見せている。申し込窓口を全国的に設置、既存の専門業者に下請けさせて紹介料を取るシステムは「人間様」だけでなく「ペット」にまで手を広げた。「人」も「ペット」も処理というような考え方で送られたくない筈。そこにスーパーではない専門業者の存在価値があるとも言えるだろう。