このブログの他に「独り言」や「各駅停車」というコラムを毎日更新しているが、写真の添付するようになってからびっくりするようにアクセス数が増えて驚いている。
毎週「水曜日」に発信している「まぐまぐブログ」も重い責務を感じているが、「生かされた証し」として生あることに手を合わせて打ち込むようにしている。
そんなことからメールを頂戴することも増え、信じられない事実を知って驚愕することもあった。最も驚いたのは30数年前に発刊した小説「葬儀屋 七万歩才のあの世の旅」がオークションに登場し、一時は7000円を超す金額まで出ていたそうで衝撃。
一方で今でも「アマゾン」などへの問い合わせがあるそうなのでびっくりする。
小説「お葬式はハプニングにのって」というものもあったが、発刊したら新聞で採り上げられて初版がすぐになくなり、増刷を勧められたが「書く」ことは恥を「掻く」ことという思いがずっとあり、増刷することはしなかったのだが、手元に1冊だけ残してあったものも事務所に置いていたらいつの間にか行方不明になってしまった。
エッセイ集として「悦生」を発刊したのが最後だったが、それでも30年近い年月が経過しているだろう。終章部分に短編小説を掲載。内容は最近に問題になっている死因の不明問題で、我々葬儀という仕事に携わる立場が知らない内に犯罪に巻き込まれてしまう危険性をドラマ調に書いたものだった。
医師の診断書のある死亡届が役所に提出されると「火葬許可証」が発行されるが、それが偽物だったらどうなるのだろうか。火葬されてしまってお骨になったらもうどうしようもないから大変ではないか。
そんな内容に興味を抱かれたあるジャーナリストから「紹介させて欲しい」と懇願されたが、悪戯に世間を騒がせるべきではないと固辞した出来事もあった。
そんな問題が、最近になってクローズアップされて来ている。葬儀の目的意義の一つであった「社会的告知」から離れた「家族葬」の潮流や、「直葬」の増加はそんな裏面もあることも考えさせられる。
そうそう、「お葬式はハプニングにのって」だが、冒頭部分は鉄道の時刻表に関する物語があり、東京の大学に通って下宿している主人公が、実家のある九州から父の訃報によって帰郷する際に、時刻表マニアの下宿仲間が最も早く着く方法を調べてくれるというもので、次の日の東京駅発新幹線始発列車よりも早く着くにはと、意外なことを教えてくれるところが面白かったという感想もあったし、父の休止から友人だったお寺の住職の世話で大阪の葬儀社勤務までのストーリーも、ミステリー好きの住職の描いたシナリオが面白かったというご意見も頂戴していた。
葬儀のプロばかりが加盟している組織団体で「飲酒運転撲滅」の啓蒙も活動も行っているが、それらは前にも書いたように被害者のお通夜や葬儀を何度も体験しているからで、事故や事件が少なくなって欲しいと強い共有感があり、ユニークかもしれないが「あの世の教育」についても真剣に取り組んでいる。
「あの世の教育」は来世の存在を信じることから始め、せっかく人としてこの世に生を享けたのだから来世に夢を託して旅立たれるような人生をというもので、「悪いことをするな」という極めて当たり前のテーマであり、上述の小説「あの世の旅」はそんな思いを託して書いたものだったが、大きく新聞に採り上げられて広まったこともあり、いただいたお手紙の感想文に「良書です。学校教育に重要だと思います」というご意見もあったので嬉しくなった思い出も懐かしい。