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司会のこと  NO 3526

導師が入室されたり退出される時の歩かれるスピードも重要である。あまりに速いと軽く感じられてしまうので考えものだ。

「葬儀式閉式でございます。合掌、礼拝を」とコメントしたら、起立されて退出される導師がおられたので勿体ないと思っていたことがある。

導師は「重み」が大切である。平成の大横綱と称される「白鳳関」の所作が問題視されている話題もあるが、昭和の大横綱だった「大鵬関」の所作、貫録、存在感は群を抜いていた。

そんな「大鵬関」の葬儀で弔辞を捧げられた「白鳳関」だが、「横綱になったら上はなく、その日から引退の道を進む」と教えられたことについて語っていたのが印象に残っている。

俳優の「高倉健さん」のご逝去も寂しかった。その存在感はあの人だけのもので、俳優の「三田佳子さん」が、「俳優の高倉健さんを最後まで演じられていたような気がします」とインタビューに答えられた言葉が妙に納得を覚えた。

人間は「軽い」と言われないようにありたいもの。「重い」とは当て嵌まらないが、少なくとも存在感だけは感じられる人生でありたいではないか。

「独り言」のコラムで書いたが、ある高僧が説かれた言葉を何かの書物で「永六輔氏」が同じように触れられていた。人には2回の死があるということで、1回目は「お通夜」や「葬儀」が行われる死で、2回目はその人を知る最後の一人がこの世を出立する瞬間で、それまで多くの方々の心の中で生き続けている訳だが、そんなことを随分前に書いたら「幸せ列車」の管理人さんが、「著名人は死ぬことが出来ない」と書かれていたので考えさせられた。

歴史に登場する著名人は人の世の記憶から消えることはなく、ずっと生きていることになるが、「高倉健さん」も同じだと思う。

それにしても「森繁久弥さん」「森光子さん」「高倉健さん」のご命日が同じということにはびっくりである。

「幸せ列車」の創始者でありオーナーである人物は「高倉健さん」と会ったことがあるそうで、そのエピソードを管理人さんがコラムで紹介されていたが、そこにも「高倉健さん」らしいお人柄を感じた。

ご仏縁に結ばれる方の葬儀に参列し、会葬者席に座っていたら、前席におられた方の会話が耳に入って来た。「この葬儀社の司会者は素晴らしいね」「ここの会長の司会が有名だったのよ」なんてものだが、当事者がすぐ後ろの席にいるなんてご存じなかったのだろう。

現在弊社の司会を担当してくれている女性は元アナウンサーとして知られた人物であり、語り口調が優れているのは当たり前だが、振り返れば私が大病を患ってしまった後継者として彼女の存在があったことに心から手を合わせている。

彼女とのご仏縁は「独り言」のコラムからだが、入社してから1年後に入院したので運命のめぐり逢いに不思議な思いを抱いている。

彼女は後継者達の教育も担当してくれている。それぞれがマイクを手にする日が来ることになろうが、自分が1年生であることをいつも忘れない謙虚な姿勢で礼節を重視し、「後ろ姿」の立派な司会者になって欲しいと願っている。

多くの司会者達の指導もして来たが、ブライダルの司会者向けのセミナーで、司会者は発声する前に安心感を与えるのがプロ。「あの人が今日の司会者か。あの人なら問題なさそうだ」と無言で伝えることが出来ればプロの域である。