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時は流れて  NO 3530

北海道を走る「特急スーパーおおぞら」の全車両禁煙の車内で、喫煙していた人物に車掌が注意したところ、腹を立てて座席のテーブルを壊して警察沙汰に発展し、特急列車が健勝のために93分も停車したというニュースがあった。

おかしな人達が増えているようで、高速道路を逆走した事故も続いている。いつ何処で誰が災難に遭遇するか分からないのも恐ろしいことで、少なくとも今日あることに感謝して手を合わせておこう。

さて、「独り言」のコラムで昨年の師走に亡くなった同業者のことに触れ、その業者におられた番頭さんに教えて貰った昔話を書いたら、過日にその業者と縁のある人物が自宅に来てくれ、番頭さんの奥様が存命されており、「独り言」の内容を伝えたら大層懐かしく喜ばれていたと知らせてくれた。

このブログにも再度触れておくが、その番頭さんは奉書の巻紙に葬儀の見積りをされ、達筆な文字で巻紙に書かれるのだから遺族や親戚の方々が驚嘆されたのは言うまでもなく、実際にその文字を目にしたこともあったが、見事というレベルの達筆で羨ましい思いを抱いたことを憶えている。

昔、書道教室に通ったことがあるが、先生に教えられたことに「綺麗な文字が書きたかったらまずは一文字ずつ正確に丁寧に書くこと。筆順を学び、左右上下のバランス感覚を知るだけで見違えるように上達するから」とあったが、走り書き、殴り書きの多かった私には全く無縁の世界となってしまって後悔している。

昔は葬儀の式場の入り口には故人名を書いた板の存在があったが、最近は板ではないタイプが潮流で、文字も炭の手書きではなくコンピューターによる切り文字のようになっている。

板の時代のことだが、お客様の決められ多予算に合わせて「長さ」「厚み」「材質」などが異なっていたが、最も上だったのは本物の「檜」だった。

カンナで削る技術も重要だったが、何より書き損じをしないようにすることが大切で、板の上に文字を書くということが簡単ではなかったようである。

ある神道の葬儀の打ち合わせに行った時のこと。他府県から来られる先生が日本を代表する書家で、「板だけ持って来て欲しい。こちらで書くから」と言われて午前中に届けたら、午後になって「もう1枚持って来てくれ」と電話があった。

持参したところご本人がおられ、「ちょっとスペースが足りなくなってしまって」と言われたので、板に「押しピン」を刺してバランスを決められたらとアドバイスしたら「なるほど!」と行動に移られたが、完成した字はさすがに別格という風格が感じられるものであった。