齢を重ねると早朝に目覚めることが多いと言うが、それが本当だということを最近に感じている。
「快い眠りこそは自然が人間に与えてくれた優しい懐かしい看護師である」とはシェークスピアの言葉であるが、彼は「神は我々を人間にするために何らかの欠点を与える」という興味深い言葉も残している。
「人生の黄昏」という言葉の存在もあるが、様々な書物を繙いているともっと若い頃に読むべきだったなという言葉に出会うことも少なくない。
函館に何度か行ったことがあるが、市電の通る道に石川啄木の記念館があり、立ち寄って感じるものがあり、帰阪してから彼に関する作品を読んだら目が留まった一文があった。
「我々が書斎の窓から覗いたり,頬杖をついて考えたりするよりも、人生というものは、もっと深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである」というものだが、石川啄木の生涯について書かれたことが事実とすれば、詩文の才以外は想像を絶する人物観を抱いてしまうものだった。
耳鳴りが続く日々、目も不自由になりつつあるが、杖を手に何とか歩けることに手を合わせている。10年前の同日の「独り言」を紹介いただいているHPがあるが、当時に自分で腹部に異常を感じ、医院で検査を受けたら「そんなことはないだろう」と言われていた先生が、エコー検査の画面を見ながら「本当にあったわ!」と驚かれ、その後に大阪赤十字病院を紹介されて検査を受けた事実があった。
手術を受ける覚悟を決めたのは1年後の春だったが、「机の角に要注意」「前を歩いている人の肘に要注意」「不便な温泉地へ行かないように」と指導され、次のように恐怖感を与えられた。
「大阪市内におられて腹部に激痛を感じたら救急車ですぐにこの病院へ来てください。あなたのデーターは当病院のコンピューターに記録されていますからすぐに手術を行いますが、発症から20分以内であれば50%助かりますが、内部は出血で大変なのでその後が簡単ではありません。それだけは覚悟を」
そんなことを言われて正常で折れる筈はないが、手術の怖さから日々に悩みながら、あちこちへの講演にも気分的に支障があるところから徐々に変化が起き、約1年後に手術を受けることになった。
担当医師に手術を受ける条件として身体に関する全ての検査を願い、何処にも異常がないというところから長時間の手術を受けたが、当日の手術台に自分で上がったので担当医や麻酔医が驚かれたことを憶えている。
手術の体験がないと理解されることはないので書いておくが、手術が終わってから24時間を過ごす回復室内が大変で、そこで精神的な病に陥るケースも少なくないことを知っておきたいものである。
大規模な病院で多くの患者が手術を受け、同室で24時間を過ごすことになるが、点滴の交換を知らせる警報器の音が凄まじく、次から次へと何処かで鳴るので気がおかしくなってくる