我が家のポストは様々なポスティングが入る、冠婚葬祭互助会のもあったし、葬儀社が保存しておいてくださいと書かれたパンフレットもあったが、近所の方々が気分が悪いと話題になっていた。
前にも紹介したことがあるが、ある大手冠婚葬祭がポスティングされたチラシで次の日の朝の喫茶店で物議になったことがあった。チラシの枠外に「この企画は年内有効」とあったからで、「今年中に死ななければいけない訳だ」「早く死んでくれということだな」とみなさんが驚かれた訳である。
営業戦略として様々な業種でポスティングを行っているが、葬儀社がするべきではないというのが私の哲学である。
深いご佛縁に結ばれる愛媛県松山市にある葬儀社が創業者の残した信念から一切チラシを制作しないということをずっと続けているので賛辞したいが、創業者は葬儀社スーパーみたいな「物」を売る軽い仕事ではなく「人」に関する重い仕事であり、チラシを制作するなんて考えられないことだということ。その会社は現在で3代目となっているが、その企業理念は頑なに遵守されている。
最近のポスティングに多いのが宗教に関する情報誌で、今年になってからも「エホバの証人」「崇教真光」「幸福の科学」「天理教」が入っていた。
宗教は世の中が平和であると「心を大切に」と活動が活発になるし、社会が不安に襲われると「今こそ宗教が」と行動されることもある。どちらにしても活動されるのが宗教の存在意義と言えるかもしれないが、何処かの原理主義みたいに自分達だけの利益のために多くの被害者を巻き込む蛮行だけは許し難いことである。
今日、帰宅すると天理教の小冊子が投函されていた。私は仕事柄様々な宗教との交流があって少しは学んだつもりだが、この小冊子の内容は悪くないので紹介しよう。
「天理時報」は楽しい信仰生活へのご招待状です。と枠外に書かれ、「低い所に運命は開ける」というタイトルで次のように掲載されていた。
「山の上は高いが狭い。山の裾は低くて広い。低い所には水も肥料も流れて来るから、木は根を張り枝を茂らせて大木になるが、山の上の木は大木になりにくい。気位が高くて鼻先で人に応対する人の側へは誰も寄りつかないが、心が低くて誰にでも明るい態度で頭を下げる親切な人の周囲にはだんだん人が集まってくる」
「人が集まるくらいであれば運命が開けてくる。自分の生活ばかりではなく、子や孫の先まで栄えてゆく道は、一時の手段だけでは成り立たない。明るくて親切で、低くて広い、そんな心づくりから出発してゆけば運命の肥料がどんどん集まって年々に栄えて行くのは自然でしょう」(碇 正宜「八月の言葉」)
裏面には「まいたる種は生える」というタイトルで次の文章があった。
「悪いことをして、しかられていいわけする人もいる。悪いことして、しかられて、すみませんと謝る人もある。良いことをして、しかられていいわけする人もある。良いことをして、しかられ、悪く言われて、すみませんとニッコリ笑ってお詫びする人もある。皆それぞれ、種の生え方が違うのです」