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たゆたう NO 3576 

数日前、深いご仏縁に結ばれたご住職がご遷化され、「表葬式」に参列して来た。その時に6人の方が奏楽を担当されていたが、その生の音色を久し振りに耳にすることになり、様々な過去の出来事を思い出すことになった。

四天王寺を中心とする「雅亮会」という雅楽の組織があって研修を続けている歴史もあるが、フェスティバルホールで開催された雅楽のコンサートも何度か行ったこともあるので懐かしいが、私の人生にあって雅楽に関して印象深いことは、四天王寺で行われた「太平洋戦争全物故者追悼式」のプロデュースと司会を担当したことで、この時に総額を担当された方々が30名ほどおられたし、独特の衣装で舞われる舞楽もあって厳粛に執り行われたものだった。

主催は「大阪府仏教会」と「大阪市仏教会」で、「読売テレビ」と「読売新聞社」が共催となっており、終戦から50回忌を迎えるところから行われたもので、各宗派のお寺様達がそれぞれの装束姿で250名も務められた追悼式は想像以上に荘厳な読経が流れていたことを記憶している。

雅楽に関する司会のフレーズの資料を探してみると、次のようなものが出て来た。

「日本の宮廷音楽として、形を変えることなく受け継がれて来た雅楽。『いにしえの音、明日への雅』そんな言葉があるが、奏でられるそれぞれの楽器が『天から差し込む光。空を舞い立ち昇る龍・地にこだまする人の声』として、響きが重なり合う時、ひとつの宇宙が聞こえて来るような気がする。遥かな人が想い描いた『たゆたう』の時間に、いにしえの音色が何よりのお供養につながると信じて止みません」

四天王寺にゆかり深い聖徳太子は仏教を奨励されたと同時に雅楽を広める発想も抱かれていた説もあり、四天王寺でそんな追悼式がこんな形式で執り行われたことは素晴らしいことだったと考えている。