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思い出した言葉  NO 3580

今日の朝刊で目に留まったのが一面の下部にあるコラムで、5年前に起きた福島原発事故に関する調査委員会の発表で、メルトダウン(炉心融解)の言葉を使用するなと東電のトップから指示されていた問題で、神道での忌み言葉の仏教に関する例に触れていたことが興味深かった。

仏(中子)、僧侶(髪長)、経文(染紙)、死(治る)、病気(休み)、寺(瓦葺き)なんて紹介されていたが、これを読んで思い出したのがもう40年近く前に書いた「お葬式と春夏秋冬」という愚書で、この中で同じようなテーマで書いていたことだった。

手元にないので確認出来ないが、記憶によると「死」に関する「休み」は「夜須美」と書いたような気がする。

我々葬儀の司会者でも気を遣わなければならない忌み言葉の存在が多く、日頃の口癖にも神経を遣って出来るだけ用いない努力姿勢も重要である。

「また」「繰り返し」「引き続き」「重ねて」「重ね重ね」なんて言葉は初歩的で基本的なものだし、結婚披露宴の司会者の「また」「切れる」「別れる」「離れる」「繰り返し」「戻る」などと同じであろう。

宗教的な教義で用いてはならない言葉も常識として学んでおかなくてはならない。「黙祷」の「祷」文字の中にある「ネ」は「祭」の中の「示」と同じで神道から形成された文字だと理解しておくことで、仏教用語としては相応しくないと指摘されることもあるので気を付けたい。

「ご冥福を祈って黙とうを捧げたく存じます」なんてコメントを浄土真宗系の通夜や葬儀で発したら、それこそ導師が振り向かれて後で控室に呼ばれて説教をされる問題に発展する。

これは「ご遺徳を『お念仏』にてお偲び申し上げた九存じます」となるからだが、浄土真宗系には独特の教義があることも興味深いところである。

随分昔のことだが、ご本山で開催される僧侶研修会の講師を依頼されたことがあった。私の担当は午後だったが、午前中の講師を担当される方が浄土真宗では著名な人物だったので、午前中の講義を受講させていただくことにして早めに行ったのである。

この講義は今でも印象に残っている。「弔辞の中で『鬼籍』という言葉を耳にするが、人を鬼の戸籍に入れてしまってどうするのだ」「草葉の陰という言葉があるが、それはコオロギやバッタの棲む世界だ」「ご冥福を祈るとは真っ暗な闇の世界で幸福とはどういうことだ」「黄泉の国という言葉も耳にするが、それは古事記にあうようにこれ以上汚い所はないという世界で、そんな所へ故人を行かせようというのはおかしい」「どうぞ安らかにお眠り下さいとはもう出て来ることなく眠っておれという冷たさを感じる言葉だ」なんてことを拝聴しながら、もの凄く新鮮に受け入れられたことを憶えている。

この講義をされたお方は広島県の藤田先生だったと記憶している。まだご健在であることを願いながら教えていただいたひとときに心から手を合わすものである。