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続く言葉  NO 3296

 25日は弊社の顧問である「キダ・タロー氏」の講演が本社で行われる。私はどうしても行かなくてはならない所用があって遠方に行くが、多くの参加者が来られるようにと手を合わす。

 前にも書いたが「キダ・タロー氏」は「浪速のモーツアルト」という有名な別称があるが、それに続く言葉があるのでびっくりした。

 それは、モーツアルトより先に生まれていたら、モーツアルトが「ウィーンのキダ・タロー」と呼ばれていただろうというもの。

 こんな逸話に思い出すのが「中村草田男」の詠んだ有名な「句」だが、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の俳句も、「明治は遠くなりにけり」だけが一人歩きしてしまい、「降る雪や」がなければその意味を理解出来ないのに不思議という現象があるようだ。

 明治生まれの作者が、昭和の時代を迎えて訪れた母校である小学校で、雪が降るのを見て季節の流れを感じ、それを詠んだ俳句と言われているが、五・七・五との俳句の世界は我々凡人には想像もつかない奥深さがあるようで、俳人と称される方々に畏敬を覚える私である。

昨日の号で中学校時代の先生について書いたが、二年生の時の自習授業で「松尾芭蕉」の「奥の細道」を読んでいたら、その時間を担当されていた英語の先生が「英語を勉強するにはしっかりと日本語を勉強しなければならない」と言われた言葉が印象に残っている。

 五七調という言葉のリズムは我々日本人の心の扉を開ける効果があるようで、ナレーションの創作に関して意識したことも多く、それらは演歌の詩の中にも重視されているようだ。

 さて、雪に関する句で忘れられないのが江戸時代の女流俳人として名高い「田捨女(でんすてじょ・でんすてめ)」が詠まれた「雪の朝 二の字二の字の下駄の跡」だが、俳句とは感じた感性を瞬時に詠んだものが理想だそうで、どのように詠んだら人にどう捉えられるかなんて考えた句は歓迎されないと教えられたことがあった。

 中国故事が好きだったところから、愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」には閻魔大王と主人公が会話する場面でいっぱい出て来るが、それも懐かしいこの頃である。

 そうそう、日付が変わって今日の「キダ・タロー氏」の講演だが、午後1時半から本社で始まります。是非ご来場くださいますようご案内申し上げます。