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悲しい光景  NO 3299

 お葬式は悲しいのは当たり前だが、交通事故や事件に巻き込まれた理不尽なご急逝は本当に大変。参列される方々の雰囲気も沈んでおり、誰もがその場から逃げ出したい空気に包まれている。

 だから「被害者になるな」「加害者になるな」という私の口癖が生まれ、飲酒運転などとんでもないことだと安全運転を願ってしまう。

 昔、地域の役員さんからお葬式の依頼電話を頂戴した時のこと。幼稚園に通う幼い女の子が交通事故に巻き込まれて亡くなったというご不幸だった。

 その瞬間からずっと心が重くなってしまうし、この仕事に従事するべきでなかったと後悔することになってしまう。「人は辛い思いをしただけ人にやさしくなれる」という言葉を知ったのは20年ほど前だが、ずっと昔から交通事故を恨んでいた歴史があった。

 自身も青春時代の事故体験があるからで、幸いにも被害者の存在がなくて安堵したが、それからは絶対に事故を起こさないようにハンドルを握ってきた。

 その幼稚園の女の子のお家に着いた。電話を掛けてくださった人物が玄関前におられる。「悲し過ぎる。中にはおれないよ」と仰っているが目が赤くなっているのが分かる。それから悲しくて辛い修羅場にと覚悟を決めて入らせていただいたが、お仏壇のある部屋に近付くと女性の嗚咽が耳に入った。

 中央にかわいい子供用の布団が敷かれてあったが、そこに女の子は寝かされておらず、嗚咽の主であったお母さんに抱かれたままだった。

 頭が包帯に包まれている姿が痛々しい。しかし、冷静になって周囲を確認するとそれは今ではないでしょう」というやりとりと光景を確認することになった。近所の方と枕経に来られていたお寺さんが日程について打ち合わせ中。「地域の会館を押さえますから」という発言にお寺さんが手帳を広げてスケジュールを確認されている。

 悲嘆に暮れるお母さんやご遺族のすぐ近くでこれはないだろうと思ったところから、当時は若かったこともあり、廊下におられた数人のご親戚らしき方々にある提案を持ち掛けた。

「今は日程を決めるべきではありません。お母さんやご家族の方々をそっとして差し上げるのが最善だと思います。お母さんが『この子のお葬式を』と仰るまで待ちましょう。それからでも準備は可能なのですから」

 ご親戚の方々は、すぐに私の提案にご賛同くださり、部屋の中に入られて地域の方とお寺さんを別室にご案内。そこで皆さんの相談結果として上述の提案が決行されることになった。

 お母さんはそれから17時間一睡もされずに女の子を抱かれていたそうだし、ご主人もずっと側を離れなかったと知った。

 涙が枯れるという言葉があるが、暁方、ご主人から「私とお前の大切な子供だ。しっかりと送ってやらなければ」とのお言葉が掛けられ、それから3時間ほど経ってから私に連絡があって参上し、ご家族と一緒にお葬式の打合せを始めたが、電話で日程の確認をさせていただいた際のお寺さん、「いやあ、あれは反省しているよ。よい勉強になった」と感謝の言葉を頂戴することになった。

 今日、悲しいお葬式が行われていた。まだ10代という若い女性が闘病生活の中でご逝去された。メモリアル・ボードのコーナーに成人式を迎えられる際にお召しになる予定だった着物が掛けられてあり、多くの人達の涙を誘っていた。

 随分前、遠方のある女性司会者からメールが届いた。彼女は先輩司会者から指導された時、「泣くような司会者はプロでない」と教えられたそうだが、前述したような交通事故で亡くなられた子供のお通夜を担当するところからアドバイスを求めて来たものだった。

「司会者も人間です。機械ではありません。涙を流さない司会者はプロではありません。そんな人物の司会で送られる人が気の毒です。あなたはいっぱい泣いて司会を担当して来なさい。但し、司会を始める前にお断りを申し上げるように。私は司会者ですが、一人前ではありませんので取り乱してしまうかもしれません。私も一人の人間として悲しみを共有させていただくことを何卒お許しくださいませ」と。

 そんな彼女からお通夜が終わった後、再度メールが届いた。アドバイス通りに行っていっぱい涙を流したそうだが、ご両親から「あなたみたいな人に司会を担当して貰ったことが救いになりました」と感謝のお言葉を頂戴したそうだ。