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「公開」と「後悔」  NO 3341

「愛護」ということ言葉があるが、医師、看護師さんなど、医療従事者は「相互(あいご)」という意味をご理解いただきたいもの。

 診る人、看る人、そして診られる人と看られる人。立場は変わっても、人はいつどうなるか分からないもの。だから相手のことを精一杯考えて行動することが望まれるだろう。

曹洞宗の開祖「道元禅師」が説かれたお言葉に「愛語」というのがある。これは「親切な言葉」という意味だそうだが、禅師は「愛語に回天の力あり」と教えられている。

我々葬儀社にとっても、葬送の道はいつか自身も通る道。「相互」を「葬互」と考えて接したいものである。

「回天」という言葉の意味は、時勢を一変させ、国の衰えを回復することだが、太平洋戦争の末期、「特攻」の一人乗り魚雷で敵艦に体当たりした「回天」も知られている。

 戦争と宗教は人を変えると何度も書いて来たが、こんな物を発想するのも狂気の沙汰だし、それに「お国のためだ」と乗り込んだ人達のことを考えると堪らなくなる。

 戦争秘話の中に、「無理があります」と提言したら、「根性でやり遂げろ」と返した上官が多かったそうだが、終戦から60年以上が経過しても、そんな言葉を発する指導者や経営者がいるので選手や働く人達には悲劇だろう。

「就活」に語呂を併せて「終活」という言葉が増えたが、エンディングノートなどの売れ行きも想像以上のようで、その意志を尊重して葬儀が執り行われるケースも増えると考えるが、書き込まれる前に本物のプロに相談されてから進められるべきとアドバイスしたい。

 前にも書いたが、葬祭業者が囲い込み戦略を目的としたセミナーや講演が増えているからで、それで学んだと思ったら大間違い。それこそ二重の悲しみを家族に与える危険性が秘められていることを知りたい。

昔、人生の「終焉」に関して「えにし」に結ばれる人達が集われ、会食をしながら葬送を執り行う提案をして話題になったことがあったが、「終焉」が「終宴」ということにもなるだろう。

 21世紀を迎えてからの葬儀は、無駄を省くことが潮流となったが、その中に義理的会葬者を対象とする考え方も強くなり、来て欲しい方をリストアップして内緒で知らせるケースも増えていることは確かである。

 しかし、知らない内に「この世」から出立されてしまったということに抵抗感を抱かれることも事実で、交流のあった近所の方や地域の方々に対して秘密に葬送を執り行われて後悔されたケースも少なくないのである。

 ある「家族葬」ご希望のお客様だった。故人のご生前のお考え通りに進んでいたのだが、ご伴侶が喪服を取りにご自宅へ行かれた際、ふと出合った隣の人にご主人のご逝去をお話しされ、お通夜にご多数の弔問者が参列されることになった。

 喪主を務められていたのは他府県に在住されるご長男だったが、知れてしまった事実を耳にしてお母さんを責めておられたのだが、葬儀が終わってから知れた方がよかったとしみじみと語っておられたのが印象に残っている。

 そんなお言葉の中に、「親父が地域の人達とこんなに交流があったことを初めて知りました。残った母親のこともあり、家族だけでと考えていたことを実行していたら、大変だったと思います」と言われたこともあった。