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意外なこと  NO 3359

 唯一の被爆国である我が国で、平和の誓いと犠牲者の慰霊の式が行われていた。あのアインシュタインが後悔していたことも知られているが、核は愚かな人間達にとってはまさにパンドラの箱という現実になった感を覚え、生かされていることに感謝をしながら手を合わす。

 昨日の号で触れた保険会社のCMだが、今日も流されていたのを見たら「戒名料」も含んでいるとコメントしていた。

 ここまで宣伝すると誇大広告で済むレベルではない。「戒名」に「料」を付けるだけでも大問題。その本義を理解していたら絶対に出すべきではなく、宗教界から問題が提起され、近い将来に変更を余儀なくされると確信している。

 今日で入院してから6日目。食事は「五分粥」から明日には普通食になるそうで、劇的な回復に自分自身でもびっくりである。

 これまでに様々な病気で入院したが、その度に生還するのも不思議な話。葬儀という仕事に従事しているからと言われた方もあったが、病院の白い天井を見つめていると様々な考え方が浮かぶものである。

「体感に勝るものなし」という言葉があるが、すべてが貴重な体験。人は辛い思いをしただけ人に優しくなれるという司会のフレーズがあるが、余生はそんな体験の「語り部」や「伝道師」みたいなことも出来たらと思っている。

 点滴もなくなって退院の光が見えた。点滴の痕跡は痛々しいが、もう痛い思いをしなくてよいのでホッとしている。

 入院してから様々なことを学んだ。病気の世界にもプラス思考が重要で、それが免疫力を高めることを知った。

 昔から、自分の専門分野以外は全てプロを信頼して任せるという性格だった。この考え方は特に病気の場合の医師との関係に大切で、今回のような劇的な回復につながったように思っている。

 点滴がなくなったところから廊下を歩くことにした。大きな病院なので遠回りに廊下を歩くと1周で100メートルぐらいある。途中にあるデイルームを挟んで、A病棟、B病棟それぞれにスタッフステーションがある。4日間も絶食したのだから減量しているだろうと期待して、スタッフステーション入り口にある体重計で測定して貰ったら、全然減量していないので意外に思い、今日は5周を歩いたが、明日は10周しようと考えている。

混沌とした社会で  NO 3358  

 医師が来室、血液検査の結果を届けてくれた。そこにはこの病院に前回入院した際のデーターも記載されており、7年前の数値を見ながら当時を懐かしく思い出した。

 問題の数値が信じられないほど下がっており、嘘みたいに予想外に早い退院の可能性が出て来たので喜んでいる。

 7年前に受けた大手術では自分で手術台に上がったし、術後の集中治療室で不思議な幻覚を体験したし、病室に戻ってからもおかしな幻覚があり、2日間天井と壁に鳳凰の柄が見えたので「ここは極楽か?」なんて思った体験も忘れられないが、別の考え方をすれば間違いなく「この世」に戻ることが出来る兆候だったのかもしれない。

 今回入院して感じたことは、看護師さん達がヒューマンエラーを起こさないような対策がされていること。患者の手首にリストバンドを付け、そこにはバーコードが表記され、点滴や注射の前に必ずチェックを行い、ワゴンに載せられたパソコンと照らし合わせている。

 昔に入院した病院の信じられない話を紹介するが、朝、廊下を通る看護師さんを別の看護師さんが追い掛けている。「注射、間違っているわよ」とはっきりと聞こえた。間違った薬剤を注射される患者はそれこそ災難だが、それから2日後、真向かいの部屋の患者さんの家族と看護師さんの会話に驚かされた。

「本人が個室を希望しているのですが、どこか空いていないでしょうか?」と問われ、「明日ぐらいに空くと思いますよ」と返されたのだが、それは私のいた病室の隣室のこと。危篤状態で亡くなられたら空くという意味だった。

 こんな無神経な発言に衝撃を受け、1日も早く逃げ出したいと思ったことを憶えている。

 あれから約40年の月日が流れた。振り返ればあちこちの医院や病院のお世話になった。それだけ健康保険の恩恵を受けていることになるので申し訳なく思っているが、もう入院しないような生活を心掛けたい。

 BSのCMで保険会社のコメントにびっくり。「葬祭費補償」「お通夜の会食から初七日の費用まで」なんて言っているが、こんないい加減な宣伝は完全な誇大広告。勘違いで契約されたら間違いなくクレームが生じると想像する。

 葬儀に関して社会は何でもありの様相。特にネットの登場でややこしい広告が増えた。何処に会社があるのか明記せず。ただ大きく見せて電話番号だけを表記している。実際に誤解されて依頼され、話が違うと生活センターに訴えたケースもあったが、プロとして厳しい考え方で書いておくと、「葬儀社選びが全て」が結論。大切な方の大切な最後の儀式にそんなややこしい業者を選択してしまった側にも少しは責任があると考えたい。

 ネット社会になって急増したのが既存の葬儀社を下請けにするビジネス。申込窓口を設けて紹介手数料を課す所謂「ピンハネ・ハイエナ」ビジネスで、下請けになっている中にややこしい業者が多いので要注意である。

反省  NO 3357

 入院前の夕食から72時間以上が経過した。それでも空腹を感じないのは点滴の影響なのだろうか。このブログや「独り言」「幸せ列車」のコラムで入院について書いたので、多くのメールを頂戴して恐縮したが、返信はしばらく出来ませんのでご海容を。

 そんな中に多かったのが病名は?というものだったが、「ガン」でないことだけは書いておこう。

「本当に一杯も飲まないのか。乾杯もしないということ?」という友人からのものもあったが、退院してからの会食ではお茶だけとなると宣言しておくが、誘ってくれることが激減するだろうと想像している。

振り返れば「天ぷら」「串カツ」「鰈のから揚げ」「魚フライ」など油料理を食していたことも問題だったよう。ここに身体が許容する範囲を超えてアルコールを摂取すれば発病に至る病気は決まっている。元々飲めないタイプだったのだからすぐに兆候が出たようだ。

 反省はするが後悔はしない。後悔するようではプロではないという仕事に対する哲学があったが、それはそのまま自身の人生に当て嵌める思いもあったところから、後悔しないように一滴のアルコール摂取も断つことにした訳である。

 禁煙のきっかけとなった病院で奇しくも禁酒することになったのだから不思議だが、これも何かのご仏縁と考えて手を合わせている。

 ニュースに宮城県で発生した大きな地震の映像があった。東日本大震災から震度4以上の余震がこれで300回だそうだが、いつになったら治まるのだろうかと東北の方々のご心情を拝察する。

 入院していると退屈でテレビを観ることも多いが。BSで中国の深刻な大気汚染について特集していた。北京市内とその周辺に設置されている計測器の数値に衝撃を受けたが、ここまで汚染したら果たして回復することが可能なのだろうかと心配する。

 喘息に苦しむ女性のことも紹介していたが、自宅の中で出して並べた薬を見ながら、本当に効能があるのだろうかと疑問を抱いた。

 我が国にも影響を及ぼす危険性からだろうか、両国が協力して改善対策に取り組むそうだが、尖閣諸島で揉めている場合ではなく、早急に汚染数値を下げるような抜本的な対策を講じることが急務として望まれる。

 今日は血糖値の検査があったが、正常な数値。明日は採血があると聞いたが、軽い食事も出されるようなので期待したいが、何と言っても偏食が問題である。

 過去に入院していた際に、リハビリの先生に偏食の現実の内容を伝えたら、栄養士さんに連絡をしてくださって感謝したが。それは転院した病院にも情報として伝わっており、初日に栄養士さんが来室され、「これだったらお豆腐中心のメニューになりますが」と言われたので、それで結構ですとお願いしたら、本当に護摩豆腐など豆腐がメインとなったものばかりだった。

 その時の入院では嚥下障害があったところから、食事が可能になるまで大変だったが、今回の入院でその時の容態を話したら、今の様子が信じられないと言われた。

発想から行動へ  NO 3356

 ベッド生活を強いられると腰が痛くなる。看護師さんにその旨を伝えると「経皮吸収型鎮痛消炎プラスター剤」という外用薬を貼ってくれた。

 九州に在住している友人がわざわざ見舞いに来てくれて恐縮。過去に同じ病気を体験していたので貴重なアドバイスをして貰ったのが最高に有り難かった。

 何かお返ししなければと提案したのがゴルフ場の活性化の妙案。彼は地元のゴルフ場の役員も兼務しており、そんなところから私が前々から温めていた発想だった。だれも気付かなかったことだが、彼の表情が一変するように輝いた。このアイデアは特許にならなかっても実用新案ぐらいは申請可能な提案で、実践すれば間違いなく利用客が激増すると確信している。

 様々な業界にコンサルタントという存在があるが、自身の利益を優先するケースが多いことも事実。今回の提案は来場されるお客さんが絶対に喜ばれる発想で、私はゴルフ場のコンサルタントではないが、自分がゴルファーだったら大歓迎という立場から、かたちになって法的にガードされるようになったらこのページで紹介申し上げる。

葬儀という仕事に従事し、悲しい光景をいっぱい目にして来たこれまでだが、そんな思いを社会に提案しようと活動することが始まっている。もうHPもアップされているが、近々に紹介をしたいと考えている。

 悲惨な交通事故の被害者の葬儀、学校のいじめ問題から死を選択してしまった気の毒でならない生徒達の葬儀。また最近に話題になっているブラック企業の犠牲となった人達や失恋から死を選んだ人達の葬儀も行われている。

 そんな式場で学校関係者が「お別れの言葉」で出て来る言葉にうんざりする。「二度と繰り返さないように」とか「教訓にして」と言っているからだが、それならそんな事件が起きない筈だが、全国各地で起きている。

 また、相も変わらず酒気帯び運転による事故もなくならない。悲しみの現実を何度も体験している我々葬儀社が「いじめの撲滅」「酒気帯び運転の撲滅」を宣言したり、命の教育を訴えたらどうなるのだろうか。

 また日々に凶悪化する犯罪を少なくするには「あの世」の教育も重要と提案したいし、大災害を想定して「病院船」や「火葬船」建設の実現に向けての活動も始まっている。
 全国的に最近の葬儀は「遺体」を送っても「心」を送る部分が薄らいでいるようで、この問題を30数年前に小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」で触れていた事実があるが、これらを一気に社会へ問題提起するのが我々の団体の行動である。

 何度も入院体験している私だが、その度に不思議と「この世」に戻って来るのだから有り難いこと。残された余命を「生かされた」責務と考えて全うしたいと思っているが、この行動を一部の友人や知人に話して感想を求めたら、全員が賛同してくれたので実行することになった背景がある。

 近々の紹介をお楽しみに。

病室から  NO 3355

 昨日、朝から体調に異変を感じていた。座っていても歩いていても鈍痛を感じるし、心配症な性格からお通夜に参列する前に医院へ行った。

 地域の小学校で盆踊りが行われており、地域の役員さん達のスケジュールから午後8時からのお通夜だったが、地域の重職を歴任されて来られた方のご逝去だけに、ご多数の参列者が予測されていた。

 何度も医院の待合室でもお会いしたことがあるし、道で会うと互いの身体のことを語り合っていただけに寂しい思い。

 過去にPTAの会長を4年間続けていたことがあったが、その時の前半の2年間の副会長だった方が故人の奥様。聡明で品格のある素晴らしいお人柄が、当時の校長や教頭が賞賛されていたことを憶えている。

 故人がある方の葬儀に参列されたことがあった。その時に「お別れの言葉」を私が捧げたのだが、お帰りになる際に「私の時にもやってよ」と言われたので、私の方が先に逝くのですから無理ですよとお返し申し上げた。

 そんなところからどうしても参列しなければならなかったので、お通夜に間に合うようにと医院に行ったら、レントゲンや腹部のエコーなどで検査を受け、「念のために大きな病院で血液検査とCTスキャンを」ということになり、紹介状の出来上がるのを待って行くことにした。

 こんな時に限ってタクシーがやって来ない。お通夜の式場に行く送迎バスの誘導でスタッフが立っており、タクシーを停めますと言ってくれた時、今日のお葬式の担当責任者が初七日後のご自宅セッティングを終えて丁度通り掛かったので送って貰うことにした。

2回入院したことのある大病院。今回は夜間ということから正面玄関ではなく裏口から入館して救急外来に行った。次々に救急車が到着する場所で落ち着かないが、やがて名前を呼ばれて診察室に入った。

 症状から想像される病気の究明に向かって様々な検査が始まった。レントゲン、心電図、血圧測定も行われ、かなり血圧が高くなっていることが判明したが、それは所謂「白衣症候現象」もあるのであまり気にしていなかった。

すぐに採血をされ、同時に点滴が始まり、CTスキャンを受けに検査室へ行った。過去に会社の近くの病院で受けた際に造影剤が全て漏れ、大変な目に遭ったことがあるが、今回の病院は上手く進んだようで、「身体が熱く感じます」と言われたことを実際に体感した。

 待合室で待っていると、触診された女性の先生が来られ、病名が判明しました「**です。このまま入院しなければなりません」ということで、今、この文章は病室で打ち込んでいる。

 この病気で救急車で運ばれた友人を見舞ったことがあるが、激痛に苦しみ言葉も発せない状態だった。それから比べると随分と楽だが、まあ身体のメンテナンスと考えているが、絶食で点滴生活というのが大変で、こうなればトトロ体型を元に戻して退院したいと考えている。

 結びになるが、たとえ御冗談だったとしても、「お別れの言葉」を口約束していた出来事もあり、この「コラム」も末文に一部の思いをしたためさせていただく。

「夏の風物詩となった恒例の盆踊り、いつも団扇を片手にされていたお姿が思い浮かびます。あなた様は、ある理由のためにこの世に生を享けられ、ある理由のためにこの世を出立される。無垢でかけることのない美しい人として生まれ、時を過ごされ、与えられた時が尽きたのかもしれませんが、愛し、愛され、働き生きて来られたあなた様の人生、ここに送られる皆様は、あなた様がされて来られた全てのこと、触れた全ての命のもとに、その一部を残してゆかれることを心に刻んでいます。あなた様は、ご自身のご逝去で私達が生かされていることを教えてくださいました。人は誰でも悲しみや苦しみを乗り越えて生きなければなりませんが、生かされていることを学び、生かされることが終わるまで、そのことに感謝をすることになれば今日のご葬送の意義があるように思えてなりません。どうぞ安らかに、そして現世(うつしよ)の皆様の行く末をお見守りください」・・・合掌

変遷  NO 3354

 昨夜に生野本通商店街で開催されていた夜店だが、地域の防犯委員会が自転車の通行に関して「降りて通行を」と呼び掛け運動を行っていた。自転車が歩行者と衝突する光景を何度も見たが、スマホ片手に画面を見ながら走る人もいるのでぶつけられたら災難である。

 先月だったろうか、小学5年生の子供が坂を猛スピードで下り、衝突した高齢の女性が重傷で深刻な後遺症状態に陥り、裁判所が子供の母親に対して安全教育を怠った責任として「9500万円」の賠償を命じた判決が話題を呼んでいた。

 自転車でも凶器に代わるのは当然で、被害者、加害者の出る事故だけは起きないように気を付けたい。

今年の暑さは例年以上のようで、今夏に入ってから熱中症で病院に搬入された人が30万人近くになっているそうなのでびっくりだが、水分補給を考慮して自愛したいものである。

 こんな暑さの中をご弔問やご会葬に来られるのは大変なことだが、我々式場を提供する立場もエアコンの温度に配慮する対応が重要である。前にも書いたが、外から涼しい所へ入るのは気持ちがよいが、しばらくすると冷え切ってしまうこともあり、スタッフが配っている「膝掛け」が数十枚も貸し出されるケースもある。

 遠い昔、各家庭に冷房やエアコンが珍しかった時代に涼しい場所として知られていたのが「純喫茶」と「パチンコ店」だったが、駅の構内で待ち合わせるよりも駅の近くにあったそんな場所で待ち合わせていた人も多かった。

 今やエアコンのない車なんて絶対に購入しない時代になったが、昔は燃料消費を少なくするために敢えてエアコンを切って走行している人も少なくなかった。

 当時の軽自動車は360ccだったが、それでも今では考えられないほど燃費が悪く、リッターで10数キロという不経済。最新型の軽自動車は550ccになってもリッター40キロ近いという車も登場したのでその進化に驚嘆する。

 友人がハイブリッドの車に乗っているが、大きな排気量でもリッター20数キロと聞いて信じられなかったが、電気で走行している時はエンジン音がしないので近付いても分からないという問題があるそうだ。

 これからは電気自動車の時代という特集番組を観たことがあったが、家庭の電源で充電可能というタイプも紹介されていて開発が歓迎されていた。

 昔、氷で冷やす冷蔵庫の時代があった。小学生時代だから50年以上も前のことだったが、近所の氷店の兄ちゃんが鉢巻き姿で毎日配達してくれたことを憶えている。

 天神橋筋の北の端に大阪市の「今昔館」があるが、そこに昔の様々な家庭用品が展示され、その中に氷タイプの冷蔵庫もあったので懐かしかった。

風物詩  NO 3353

 今日は近くの生野本通商店街の定休日だったが、夕方から「夜店」のイベントを開催されていた。幼い孫達が地元に在住していればと思うと残念で寂しいが、自身が幼い頃に体験した夜店の光景を懐かしく思い出すことになった。

 国道25号線の源ヶ橋交差点から北へ走る「猫間川筋」だが、150メートルほど行くと現在はマンションとなっているが、かつては大映系の映画を上映していた「電気館」という映画館があり、その周辺が月に3回夜店が開催されていた地域で、結構賑わっていたものであった。

 昨日のニュースだっただろうか、ある神社の夜店で、高価なゲームが当たるという抽選ビジネスが「詐欺」として摘発されていた。1回300円だったそうだが、1万円近く挑戦したのに当たらないと警察に訴えたのが発端で、自宅を捜査したら当たりとなる札が全くなかった事実が判明。それで検挙となったらしいが、一日に10万円も売り上げていたというのだからびっくりである。

 冒頭の夜店だが、出店をしているのは商店街の役員さんが大半で、顔馴染みの方々が多く、あちこちで呼び止められながら抜けて来た。

 桜のシーズンに桜ノ宮駅から大川沿いを散歩するが、数えられないほどの露店が並び、それを眺めながら歩くのも春の風物詩の一つとなっている。

 この数年の変化で感じることは、露店の中に韓国や中国の食品や食べ物を売る店が増えたことだが、トウモロコシを焼いて販売している店が数軒あり、それぞれの価格が異なっているので興味を抱いた。

ある時「玉すくい」という看板掲示が目に留まった。きっと小さなスーパーボールを金魚すくいのようにと想像して覗いたら、中に1センチぐらいの黒いものがいっぱい動いている。それは「オタマジャクシ」であった。

 さて、「幸せ列車」の管理人さんが今日のコラムで私の不思議な「めぐり逢い」について触れてくださっていた。その出来事は高級葬儀の「独り言」でも書いたが、こんな巡り会わせがあるとは信じられない話で、ご興味があれば「幸せ列車」のページをご訪問いただければ幸いです。

 ちょっと気になるニュースがあった。大宮駅で「撮り鉄」の人達の乱闘騒ぎがあり、列車の発車を遅らせたという出来事だが、ネットにブログというものが登場してから撮影への行動がエスカレートする兆しが感じられ、くれぐれも事故に発展しないように願ってしまう。

 友人にも「撮り鉄」「乗り鉄」「鉄オタ」それぞれの人物がいるが、彼らの情報の世界は驚くほど広くて深く、多くの交流仲間と情報交換をしているようだ。

昔のこと  NO 3352

 昔、12月31日に8軒のお葬式を担当させていただいたことがあった。その内の4軒の司会を担当したのだから大変だったのは言うまでもないが、前日の30日の午前中にご逝去され、年内にお葬式をとご要望され、その日にお通夜、大晦日にお葬式というお客様が3軒あった。

 当時は夕方の4時から5時の式もあり、火葬場が5時半頃まで受け付けてくれたのだから今では信じられない話。地方公務員は5時までに仕事を終えるように変化したのは誰の責任かは知らないが、市民サイドから行政サイドに変化した時代の流れもあった。

 年末のお葬式には困った問題が少なくなかった。当時の大半は自宅で行われており、近隣に対する配慮で、新年早々からお通夜や葬儀となれば大変と大晦日の決行となった背景があったが、「お互い様感情」が希薄した現在では考えられない「ご近所同士」の温かい交流もあった。

「早く精算に来て欲しい」とのご要望も多かったが、それは葬儀費用を未払いで年を越されるのに抵抗感があられたからで、年末の遅くまで走り回っていたことを記憶している。

 年末に商店街で行われたお葬式が大変だったことも忘れられない思い出。当時の商店街はスーパーという存在もなく午後10時頃まで開店されている店が多く、人通りも今では想像も出来ない凄さで、弔問者とどう対処するべきかが悩みの種だった。

 昔は参列される人数も半端じゃなく、200人や300人が当たり前。ちょっと手広く商いをされていたら500人ぐらいは参列されたのだから大変だった。

「間もなくご会葬の皆様のご焼香ですが、当商店街はご通行の皆様も多く、誠に恐れ入りますが式場側にお寄りいただき、ご当家の東側にご移動を」なんてアナウンスが欠かせなかった。

 お通夜の場合、会社関係や友人の方々は午後8時頃までにご焼香を済ませてお帰りになるが、商店街関係の方々の中には午後10時に閉店されてから来られる方もあり、受付を片付けて清掃をすると我々は午後11時過ぎに失礼するのも当たり前。葬送の形式や環境の変化はそれからどんどん変化してしまい、お通夜とお葬式の参列者数がいつの間にか逆転し、今ではお通夜の方が多くなっている事実に寂しい思いも抱いている。

 ご訃報を知って参列するのは「焼香」を目的とするものではなく、葬送とは「お見送り」する意味があり、それからすると「ご出棺を」ということになるが、最近の傾向は「焼香」を終えたらお帰りになるケースが多くなっている。

 昔、著名な建築士さんから電話があり、「是非時間を」と東京から来られることになった。目的は火葬場の設計で、私が書いた小説「七万歩才のあの世の旅」をご笑覧くださったそうで、その中に書いた「野辺の送り」について話を聞きたいと言われた。

「小高い丘を肩を落として柩と共に歩みゆく情景を人は『野辺の送り』と呼んだ」というようなことを伝えたが、それがヒントになって霊柩車から炉のある棟まで長い回廊を設けて「柩と共に歩む」設計につながったところから、オープニングセレモニーのプロデュースや司会を担当させていただくご仏縁に結ばれたのだから不思議な出逢いであった。

考えさせられること  NO 3351

 遠方から2人の女性が来阪。一人は持参されたパソコンでオリジナル製作されたDVD作品を見せてくれた。それは、故人の人生をドラマチックに編集した内容だったが、奥様やご家族に残された言葉や、お母さんへの親不孝のお詫びや皆さんへの感謝のメッセージの文字紹介も入っていた。

 制作を依頼されたのは奥様だったそうだが、ご主人がお好きだったと選曲された歌詞がそのまま人生を物語るような内容だったのでびっくりし、中々の秀逸作品として感想を伝えておいた。

 それぞれが各地で様々な企画に取り組み、日々に進化してくれているのは嬉しいことだが、自分達で創作中という「HP」の一部を見せて貰って「ここまでよく頑張ったね」と褒めてやりたかった。

 夕方から3名で大阪らしい場所へ食事に行った。街は土曜日なのかもしれないが、どこも人が溢れていっぱい。偶々目的の店に空室があったのでホッとしたが、ハルカスの影響からか、阿倍野という地域が想像以上に賑わっている事実に驚いた。

 それぞれが葬儀という仕事に従事しているプロである。会話もそれらしい内容で、最近の葬儀の傾向や今後の展望についても語り合った。

 深いご仏縁に結ばれる葬儀社のトップが問題提起していた内容に興味を抱いた。「通夜や葬儀に参列した際にお茶のサービスやお手拭きのサービスは不要では?」という方がおられたそう。

 どこでも当たり前のように行われているサービス提供だが、こんなご意見があることも知るべきだろう。

 施主側からすれば「当家や個人のために来てくださるのだから徹底しておもてなしを「というお考えがあるのも事実。どんな仕事の世界にもすべてのお客様が一致して求められるサービスとは難しいもので、そこに様々な個性や感性が存在するものである。

 今日の会話の中に「お手拭き」についての話題があった。ご焼香の前に少しでも手を綺麗にしていただければと提供するものだが、お客様の中には焼香を終えた後に出して欲しいと言われる方もおられるのである。そのお考えの一部には「焼香」の「香」の香りを嫌われることもあるのだが、さすがに「香」自体に穢れを感じる方はおられないようだ。

 今日の結びに奈良県の山間部で様々な農産物や花を栽培している友人が食べさせてくれた夏みかんのことを。「これ、甘いから」と出された物の味は生まれて初めて感じた夏みかんの感触。「これが現物」と見せられた物はあちこちがゴツゴツしており絶対に果実店の店頭に並ぶことはない代物。間違いなく自然環境に実った物だが、販売目的で作られた物とは全く別の感じ。こんな自然を「見てくれ」だけに変化させてしまった人の世の行為を改めて考えさせられることになった。

最近に感じたこと  NO 3350

 テレビで様々なCMが目に留まる。トヨタ自動車や「いいちこ」の三和酒類のCMには拘りを感じる。最近のトヨタ自動車のCMには「アンドレ・ギャニオン」の「めぐり逢い」の音楽が使われている。

 BSの番組で目立つCMは健康食品で、どれも医者が不要な効能を感じさせる内容である。

 東京で行われた「藤田まことさん」の偲ぶ会を弊社が担当させていただいたご仏縁があるが、当日の返礼品の中に前田製菓のクラッカーも入っており、それは生放送だった部隊の緞帳が開く前に氏が登場して「当たり前だのクラッカー」というCMの入った「てなもんや三度笠」の縁からで、50年ぐらい前のことだと記憶している。

 健康食品に関して氏が起用されていたCMが「養命酒」だった。当初は「強壮・滋養・薬用」という表記もあったように記憶するが、最近のCMには「薬用」だけとなっている。

 CMを見たらすぐに衝動買いをしてしまう知人がいる。奥さんが閉口されていたが、購入されてしばらくすると誰かにプレゼントされてしまうのだから勿体ない話である。

「病は気から」というのは本当だと信じているし、それを逆に考えたら何でも信じたら身体に効能があるのではと考えてしまうが、そんな心情にさせて購入行動を促す仕掛けがあるようにも感じている。

 最近に目立つのは「セサミン」「コンドロイチン」「ヒアルロン酸」「サメの肝油」「黒酢にんにく」「にんにく卵黄」などだが、八千草薫さんと三國連太郎さんが起用されていた「皇潤」のCMを見なくなった。

「皇潤」ではプロゴルファーの「横田真一さん」も起用されており、トーナメント中継で彼が映ると帽子に商品名が目立っていた。

 喫茶店談義で参院選が話題になった、自民党の比例区で当選した「渡邊氏」と「太田房江氏」が的になり、お二人が立候補したことと公認した自民党に対する抵抗感が強かった。

 6年間の任期となる参議院議員だが、その間に一人当たり2億円の税金が費やされることになる。それぞれがそれ以上を国民に益を与えてくれたら文句はないが、批判する人達の大半が投票に行かない現実も問題のような気がする。

 夏を過ぎると堺市長の選挙を迎える。「検討する」だけで多額の復興支援金を取得した出来事も話題になったが、我が国には「おかしい」ことに「怒り」を表さない人達が増えたよう。

 その一方で「切れる」人や「クレーマー」に「モンスターピアレンツ」が多くなった現実に矛盾を感じる。

 最近のニュースに信じられないことがあった。ある芋畑で農家の人が小さな芋を取って集めている。それを不思議に感じて尋ねたら、次のような事情が明かされて衝撃を受けたという出来事。

「生徒達が芋掘りに来るのですが、学校側に保護者から『うちの子供の芋が小さい』とクレームがあるので一律のサイズで」

 どう思われるだろうか?農作物に大小は当たり前のことなのに、こんなクレームを付ける保護者もおかしいが、それを農家に対して対応を頼んだ学校側もおかしい筈。芋にもスイカにも小さい大きいがあるのが自然と教えることこそが教育ではと伝えたい。

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