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人生史から  NO 3329

 昨日に書いた話に興味を抱かれた知人からメールが入り、世の中には本当に不思議なことがあるものだと驚いていた。

アコーディオンが嫌いというよりも、演奏されていた先生が嫌いだったということが本音なのだが、そんな幼い時代の出来事は、神仏の存在を信じるきっかけとなったのは確かであった。

 人生に影響を与えてくれた人との出逢い、その時折に耳にした音楽も忘れられないが、洋画を観た強烈な印象は今でもはっきりと残っている。

 1956年製作のユル・ブリナーとデボラ・カー共演の「王様と私」、1957年製作もケーリー・グラントとデボラ・カー共演の「めぐり逢い」、1959年製作のグレゴリー・ペック主演の「渚にて」、1960年製作のジョン・ウェイン主演の「アラモ」、1961年製作のグレゴリー・ペック主演の「ナバロンの要塞」などを観たのは小学生から中学生時代だが、高校生になってから豪華なキャストで長時間大作として話題になった「西部開拓史」も忘れられない映画である。

 グレゴリー・ペックで忘れられない映画と言えばオードリー・ヘプバーンとの共演で1953年に製作された「ローマの休日」が有名だが、日本人好みと言われたこの映画には様々なエピソードあった。

 画面のオープニング部分やエンドロール部分に「著作権」に関する表記がなく、製作したアメリカではパブリックドメインとして扱われたのだが、日本国内では50年間の期限が切れた2003年にDVDとして発売したら、パラマウント社から訴訟が起こされ、やがて最高裁の判決で日本国内の法律が認められて自由に販売されている。

 随分前に「独り言」のページで書いたことがあるが、このローマの休日の映像の中に考えられない事実が秘められており、単なる撮影ミスか、それとも監督の意図的なものかが不明というミステリーな問題が話題となっている。

 それは、王女と記者のジョーがスペイン広場で過ごすひとときだが、王女が買ったアイスクリームの場面のバックに見える時計の時間と、場面が変わったバックの時間が大きく変化しており、その事実発見にDVDを購入されてみるのもお勧めである。

 グレゴリー・ペック扮する新聞記者ジョーだが、この作品が日本国内のテレビ放映で吹き替えられた声優が「城達也さん」なのでこんな偶然も?と思ったこともあった。

「城達也さん」と言えばFM放送の日本航空「ジェット・ストリーム」が有名だが、弊社のホールで開催されたコンサートの司会で、余興として「城達也さん」とプロジェクトXの特徴的なナレーターとして知られる「田口トモロヲさん」の物真似で喋ったら喝采を浴びた思い出もある。

今思えば  NO 3328

 小学校4年生の担任だった先生は今では考えられない先生だった。ペットである大型犬コリーを教室に連れて来られたり、クラスメイトの誰かが喧嘩すると連帯責任として全員が体罰を受けたのだから学校一の恐怖先生と恐れられていた。

 野球が大好きで体育の時間はいつもソフトボール。女子生徒は適当にとドッジボールをやっていたように記憶しているが、この先生は大の南海ファンで、ある時ナイターに行きたい者は夕方の時間を決めて学校近くの駅に集合することになった。

 電車賃と入場料を母から貰って参加することになり、難波にあった大阪球場の外野席に入った。

 まだテレビが電気屋さんにしか置かれていない頃、プロ野球の実況放送はラジオの世界だったが、実況を伝えるアナウンサーの声も聞こえないスタンドに座り、内野だけが賑わっていた球場の雰囲気に子供ながら興奮したことをはっきりと憶えている。

 先生がファンだったのは、その時に外野におられた選手だったが、その姿を目にしてから3年後に引退されることになった。

 その選手は南海の監督として知られる鶴岡氏らと共にご活躍された偉大な選手。不思議なご仏縁から数年前にお葬式を担当させていただき、当時のことを懐かしく思い出しながら司会を進めた。

 あの先生はどうされているのだろうか。ご存命なら90歳前後になっておられる筈だが、昭和30年代を迎えた頃のことが無性に懐かしく思い出された。

 5年、6年の担任くださった先生は音楽に造詣深い先生で、クラシック音楽を蓄音機で聴かせて貰ったこともあるし、校内の放送設備の設置に向けて尽力され、放送室の誕生から放送部の一員として参加させてくださった。

 音楽が好きになったりアナウンスに興味を抱いたのはこの先生の影響からだが、5年生の時に忘れられない出来事があった。同学年の他のクラスの先生が病気から休職を余儀なくされ、生徒達が他のクラスに振り分けられて一緒になったのだが、教室に入らないところから、それから6年生になるまで理科室が教室として使われた。

 卒業式が終わってから教室に戻って茶話会となったが、そこで思い出に合唱したのが「赤とんぼ」の歌。同級生達にとってこの歌は誰もが忘れられない曲となっている。

 40歳前後の頃だったと記憶するが、羽衣のホテルで同窓会が行われることになり、幹事から電話があって「校歌を歌いたいのだが何か方法を考えて欲しい」と頼まれ、当日の朝からハモンドオルガンで演奏して収録。よくぞ旋律を覚えていたものだと自分でも驚いたが、この先生が校歌に深いゆかりがあったことから欠かせない式次第として組み込まれた。

 そうそう「独り言」の中で書いたことがある不思議な出来事をもう一度紹介しておこう。6年生の時、1年生から6年生の各クラスから一人ずつが講堂で歌うイベントがあった。これには保護者も参加出来るので母が楽しみにしていた。

 クラス代表として選ばれたのは嬉しかったが、どうしても嫌な問題が生じていた。それは、新しく赴任された先生がアコーディオンに長けておられ、その伴奏で歌うことになったのだが、私はリズム感からするとピアノという強い思いがあったのである。

 1年生から始められたイベントは、ついに私の前のクラスまで進められた。次は私の番であったが、ここで不思議なことだが奇跡みたいなことが起きた。私の番なのに舞台の袖で尋常でないやりとりの光景が見える。それらは数分の中断となり、やがて司会の先生から次のような言葉が会場に流れた。

「アコーディオンに不具合が発生いたしましたので、伴奏はピアノで行います」

 こんなことが起きるとは本当に不思議なこと。ピアノ伴奏で歌い終わったら、アコーディオンが元通りになったというのだから私だけがピアノ伴奏という出来事だった。

偽物か本物か?  NO 3327

「幸せ列車」のコラムで「恐怖」について書き、「独り言」では「こんなことも」と題して過去に体験したある葬儀のことを書いた。

 自宅に回って来た回覧板に目を通すと、自転車の窃盗が多いそうで注意を喚起する内容だった。最近のニュースの中にネットオークションに掲載された自転車が、落札されてから盗むという驚きの手口が紹介されていたが、オレオレ詐欺の新手も登場するし、宅配業者や郵便局員を巻き込んで行われる送り付け詐欺も問題になっているが、犯罪の手口も様々に巧妙化して高齢者を泣かせているようだ。

 高金利を餌に大きな被害を生んだ詐欺的ビジネスも多かった。「オレンジ共済組合」もそうだし、36パーセントの高金利で疑似通貨「円天」を広げたエル・アンド・ジー、また最近では「亜愚羅牧場」が問題になっているが、原野商法の被害者の名簿から「取り返す」と持ち掛けて二重に被害を及ばせた悪質な詐欺もあったが、冷静になれば「そんなバカなことがある筈はない」と判断出来るが、騙された気の毒な被害者が多いのでこれからも新たな手口に引っ掛からないようにしたいものである。

 民主党の海江田代表が「亜愚羅牧場」問題に関して訴訟の対象となる可能性があるニュースもあった。議員になる前の時代だが、リスクがないシステムだとこのビジネスを紹介していたそうで、都議選の惨敗結果もあったところから見出しに「泣きっ面に牛」と揶揄されていたので哀れに感じた。

 世の中に甘い話はない。儲け話を呼び掛ける電話が掛かって来ることもあるが、「それならあなたがするでしょう?他人に紹介する筈ないでしょう」と返すといつも切ってしまった。

 我が葬儀業界にもややこしい業者が増えており、ネットで宣伝しているケースも目立っている。そんな業者によって二重の悲しみに襲われることも少なくない。

葬儀は業者選びが全てと言われるが、そんな混沌とした時代を迎えて弊社の社名の安心度アップがあるのは想定外だった。

 ワンクリック詐欺、出会い系ネット詐欺、請求書送り付け恫喝詐欺などニュースには目白押しだが、くれぐれも被害に遭わないように願ってしまう。

 数年前、ある消費者団体から講演依頼があって担当したことがあったが、冒頭に受講者が驚かれる発言をした。「このような消費者団体」というような組織ほど騙され易いのです。と説明し、悪質な葬儀社の手口と宣伝文句を紹介したら皆さんがびっくりされ、所定の時間が終わってからも別室で質問攻めにされ、それからも数回講師を依頼されることになった。

 ある公的な組織団体が主催された講演会を担当したら、市民向けの案内情報誌から知られた方が受講され、その日に受けた講演内容について感想を書かれてブログに掲載されていたので驚いたが、その中に「参加してよかった」と書いてくださっていたので嬉しかった。

クローン?  NO 3326

 これまでの人生の中で忘れられないことがあった。過去にご仏縁があった女性司会者から教えられた衝撃的な存在についてで、私が司会で発していた一言一句を繰り返して真似をするようになり、私の「クローン」を目指しているという男性司会者の存在だった。

 そんなことを聞いても俄かに信じられなかったが、それから数か月後に1本のカセットテープが届き、それは私のイメージで喋ったものが録音されたものだった。

 聞いてみると声、抑揚などトーンまでそっくりな感じ。ご本人の並々ならぬ努力の成果の賜物だろうが、自分にクローンが出現したということには驚きを禁じ得なかった。

 その後、ある人物を経てアポがあり来社されることになったが、その日を迎えるまでにネットで私の名前で検索したら彼のページを発見。そこには彼がなぜ私のクローンを目指すことになったかという経緯も書かれていた。

 当時大手葬儀社に勤務していた彼が、車で走行中に社葬が行われている案内看板が目に留まり、担当する弊社名に興味を抱かれて立ち寄る行動になったそうで、スピーカーから流れる私の司会の内容やトーンに衝撃を受けられたようで、ビートルズの音楽を初めて聞いた時のようだったとも書かれていた。

 それまで我が大阪の葬儀の司会は様々な個性的な流儀があり、「絶叫型」「駅ホーム案内型」「泣き節」などが主流だったが、潮流になろうとしていたのが派遣司会を専門とする人達に伝承される文語調的なトークで、そんな中にアナウンサ―イメージの私がアウトサイダーみたいに出て来たのだから注目を浴びていた事実もあった。

 彼は、その後にフリーの司会者として活躍、作家の「司馬遼太郎さん」や「河島英五さん」の葬儀の司会を担当されていたが、弊社に来社された際にアドバイスをしたのは、長年よく耐えて学んだねということだったが、昔に収録していたテープを参考にしていたところから、約20年の月日の流れがあり、その間に私自身も進化したよと音響を使って体験して貰うことになり、彼にも喋ってもらったら、「こんな音響システムで喋ったら気持ちがいいですね」と言われたことが印象に残っている。

 その後、彼は葬儀の司会に関する研究会を主宰。男女問わずに司会者の皆さんの技術向上に対して門戸を開けているが、そこに参加された方の数人が来社されて指導を行ったこともあるので懐かしいところだ。

「幸せ列車」のコラムに「司馬遼太郎さん」ことが書かれていた。管理人さんの先輩に当たるそうだが、司馬さんと深い交流のあった作家の「寺内大吉さん」はお寺様であり、一緒にテレビ出演したことがあり、本番前の打合せが終わってからお話しさせていただいたこともはっきりと憶えている。

反省ばかり  NO 3325

 BSでピアニスト「辻井伸行さん」のコンサート「魂の旋律」を観た。今春に新装となったフェスティバルホールでの彼のコンサートに行って来たという友人夫妻の話を聞いたが、二人揃って自然に涙が出て止まらなかったそうで、それが素晴らしい本物の音楽と出逢った感動の為すことだろうと語り合った。

 心地よい音楽を耳にすると自然に心の扉を開けてリラックスしてしまうが、そこには優雅で上質な時間が流れている。

 過去に書いたことがあるが、我々司会者が演奏者を褒めて紹介する際に楽器のことで表現することがある。素晴らしい奏者が全身全霊を込めて演奏する時、ピアノはドレスアップをしたように幸せそうな表情を見せます。なんてキザなことを言うのだが、それがコンサート会場ではキザとならない雰囲気があるので不思議である。

 冒頭の番組ではお母さんが「子育て」に関して講演をされている映像もあったが、幼い頃からどのようにハンディを乗り越えるかをボジティブに考えて来られたそうで、目の不自由な息子さんにお母さんが見たり聞いたことを言葉で伝える感性こそが拍手に値するもので、世界的なピアニストの育成につながったような気がする。

 世の中には不幸な人がいっぱい存在する。なのにどうして!?というように、恵まれた環境に育った人達が悲しい結末を迎えた葬儀を担当し、「命って何ですか?」と問い掛けたいことも少なくなかった。

 辛い仕事で鬱になった人もあったし、失恋や先天的な病気というケースもあったが、お通夜や葬儀の世界には誰もが嘆き悲しまれる重い空気に包まれている。導師を務められるお寺様も司会を担当させていただく私も逃げ出したい環境を何度も体験したが、なぜそんな悲劇になったのかは現実を迎えてからではどうにもならず、話題になっているブラック企業なんて最悪だと思ってしまう。

 全国で毎日4000軒ぐらいのお葬式が行われ、その日の夜に4000軒ぐらいのお通夜が行われている。なのに学校で命の教育が積極的に取り組まれていないことは寂しい限り。そんな背景に「いじめ」が生まれるような気がしてならず、子供の教育が出来ない親が増えてきているようで危惧している。

 銭湯で体重を計測してみると、減量はまだまだ。お気に入りの温めの湯は「どくだみ」だったが、入りながら反省していた。

 入院していた時に嚥下障害から2か月間食することが出来なくてげっそりとなったが、その時に比べると12キロも増えたことになるのだから信じられない話。スマートだった腹部が恥ずかしいほどメタボ状態。

 頭の中の真空管がおかしくなったみたいで、350mlが限界だったビールも大瓶が飲めるようになった。そんなことが体重の増加につながったのだろうが、銭湯で購入して来る三ツ矢サイダーやアイスクリームもセーブしなければならないようだ。

顔と責任  NO 3324

 参院選の公示日と投票日が決定して発表されていた。各政党の公約に明記される争点に興味を覚えるが、党利党略だけの現実にならないように願ってしまう。

 あるコラムの中に目に留まった部分があった。「政治家は染めていた黒い手を清潔に見せるために白い手袋をして選挙に臨む」というものだったが、中々厳しい言葉であるが、市長と車を交換した業者の癒着が問題になったニュースを見ながら、世の中にはそんな考え方もあることを学んだ。

 我々葬儀に携わる立場も白い手袋を用いるケースが多いが、司会の最中に焼香順位帳のページを開けたり、弔電を代読する際に不都合があるところから外しているのが多い。

 式場の玄関でお客様をお迎えするスタッフは白い手袋姿だが、ある時に彼らから質問をされたことがあった。それは、開式にあたって合掌を呼び掛ける司会者の言葉があるが、その時の合掌は手袋のまま、それとも外して?というものだったが、このページを訪問くださる同業者皆さんや司会者の方々にもお考えいただきたいテーマとして答えは秘めておきますので悪しからず。

 もう来週には7月を迎えるが、この6月の前半は皆無だった雨が後半になってから豪雨の状態。南紀では例年の2倍近い降雨が記録されたそうである。

 7月の予報を聞いていたら、我が大阪の梅雨明けは18日頃で、梅雨明け前にかなりの雨が降るような予報となっていたが、例年以上の猛暑と予想されるので熱中症に気を付けたい。

 今日の夕方のテレビのニュース、橋下市長の発言に関して市役所に9000件を超える抗議があったそうだし、地方議会で抗議の決議に至ったところが31箇所もあったと知って想像以上に大事になっているようだ。

 今でも真意が伝わっていない。ちゃんと話したら理解されると仰るご本人だが、仮にそうだったとしても誤解を生じさせる発言だったことの責任問題は避けられない筈。ましてや大阪市長という重職の立場にあることを忘れないで欲しいものである。

昨日、人の顔の変化について話題になったことがあった。悪いことをしたら間違いなく人相が変わってくるし、疲れている時はその表情から確実に感じられるもの。長年の仕事が表情を形成してしまうこともあり、ドラマや映画のキャスティングにはそれらしき人物を配役するのも重要なことである。

 アメリカの名画と呼ばれる作品を観ると、そのキャストでなくてはならないという印象が強くなり、その後に制作されたリメイク作品を観ても全く感想が異なる事実もある。もちろん、それはシナリオを知っていることもあるだろうが、やはり監督やプロデューサーの描いたキャスティングが大きいと考えてしまう。

 残された人生、出立の瞬間にはどんな表情になっているかを自身に問いながら日々を過ごそうと思っている。

不思議なご仏縁  NO 3323

 深いご仏縁に結ばれる人物と食事を共にした。振り返れば不思議なつながりがあった。その絆から次々に交流が広まった方々の存在もあり、その出会いに心から手を合わせている。

 愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」をご笑覧くださったのは高校生の頃だったそうだが、それを紹介いただいたのはあるお寺様。もう随分前にご遷化されてしまったが、互いにそのお寺様のことを忘れられないので懐かしい話題となった。

 政治、宗教、雑学などをテーマに約3時間のひとときとなったが、久し振りの再会で有意義な時間を過ごさせていただいた。

 利用した店の奥さんが私の「独り言」を開いてくれたことがあるそうで、日に3本のコラムのことを誤解されていたみたいで、それぞれ別のHPだと知って驚かれていた。

 ネットの世界に詳しい方で、日に3本続けることに関して、「独り言」のページを閉鎖することもありだとアドバイスを頂戴したが、それも考える時期が到来したようにも思っている。

11年続けて来た「独り言」を閉鎖してこのブログと「幸せ列車」のコラムの2本となる訳だが、元々このブログを始めたのは「独り言」を閉鎖する予定だったからだ。それがこのように続いてしまい、惰性のように駄文の列記で現在に至っている。

 毎日それぞれのページを訪問くださる方もおられるみたいだが、お蔭で「大阪 コラム」で検索したら「独り言」のページがトップに出て来るようになっている。

 さて、昨夜は一睡も出来なかった。お世話になっている医院へ行ったら「本日は終了しました」と掲示され、薬を頂戴することが出来なかったからだが、朝から行くと昨日の事情について説明があった。

 救急車やパトカーが近くの幹線道路に停車し、多くの警察官も来られていたみたいで詳しくは知らないが、かなり混乱されていたようだった。

 ややこしい患者もあるようで、知り合いの病院の先生が大変な時代で参っているなんて苦労を語っていたが、手術の前に説明する際に録音する人や弁護士を伴うケースもあるというのだからびっくりである。

 過去に大きな手術を受けたことがあるが、病気と寿命は別物と割り切って「全てお任せします」と伝え、当日に手術台に自分で上がったのでスタッフの方々が驚かれた思い出もある。

 様々な病気の体験をして現在に至っているが、間違いなく「生かされている」と思う不思議な体験がいっぱいあった。集中治療室で過ごした際に幻覚を体験したし、病室に戻ったら天井と壁が鳳凰の柄がいっぱい見えた二日間という出来事もあった。

 世の中には科学で判断不可能なこともあるのは確か。最近のニュースで驚いたのは大英博物館にある4000年前のエジプトの像のこと。ガラスケースの中にあるのに少しずつ向きが変わっていることに気付き。おかしいというところから防犯ビデオカメラをセッティングしたら、ある時間帯に1回転したというものだった。絶対に信じられない出来事だが、そんな話題が出て来ることに神秘の世界があるのかもしれない。

句のこと  NO 3322

 著名な俳人のお葬式を担当したことがあるが、参列者が詠まれた追悼の句がいっぱい寄せられ、式次第の中で代読させていただくひとときとなった。

 五七五の十七文字の世界だが、五七調で読む和歌の世界よりも情感が伝わり難いので難しい。

 葬儀が終わっていよいよご出棺の場となった。喪主さんを中心にご遺族が並ばれてご挨拶。それが終わるとフォロー申し上げるのが我々司会者の重要な仕事。その日は冬の最中だったが陽射しがあって珍しく気温が上昇していた時間帯だった。そこでちょっとサービス精神で思い浮かんだ俳句を披露、そんな思いでご出棺と結んだ。

「人徳の 春うららかな仏かな」という句だったが、いつどこで覚えたものかは分からなかったが、ふと出て来たのでそう言っただけなのに、葬儀が終わってから句会の皆さんからいっぱい質問されて参った思い出でもある。

 著名な方々が詠まれた追悼の句を学んでおくことも大切だが、時には歴史で知られる方々が詠まれた辞世の句を知っておくと葬儀の司会者として役立つこともある。

「この世ばどりゃあ暇(いとま)に線香の煙とともに灰左様(はいさよう)なら」

 これは「十返舎一九」の有名なものだが、この世を出立される瞬間までこんな句を考えていたのだろうかと思うと、昔の人は凄いと知ることになる。

「嬉しやと再び覚めて一眠り 浮世の夢は暁の空」

 これは徳川家康の句だが、天下泰平の礎が感じられるような言葉である。

「極楽も地獄も先は有明の 月の心に懸る雲なし」

 これは「上杉謙信」の作だが、当時の武将は仏教に帰依していた人も多く、造詣深い人達が少なくなかった。出家して僧籍を持するケースも多くあったようだが、そんなことから思い出すのが「小の月」「大の月」に関して伝えられる言葉だった。

「小の月」は2・4・6・9・11で「西向く士」となるが、「大の月」は1・3・5・7・8・10・12で「いざ五七夜の十王」となり、続けて「西向く士生尽きて、いざ五七夜の十王経」となるものである。

 十王というのは「あの世」の裁判官のことで、初七日から四十九日までの七人と百箇日、一周忌、三回忌の追善を担当する3人で合わせて10人となる訳だが、こんなことを背景に書いたのが愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」という小説で、それは30年前の出来事だったので懐かしい。

借りと貸し  NO 3321

 大阪のラマダホテルが今年いっぱいで閉業するニュースがあった。元は東洋ホテルで大阪万博開催の前年にオープン、私が22歳の時だった。

 この仕事に従事してから合同葬やお二人ご一緒というお葬式も何度か担当させていただいたが、初めてご夫妻のご本葬儀を担当した時の辛労は忘れられないほど強烈な記憶として残っており、無事に済んだことに対して自分への慰めみたいに食事に行ったのが東洋ホテルのレストランだった。

 当時は、ロイヤルホテル、プラザホテルと共に大阪を代表するホテルとしての存在であり、会合などでも何度か利用しただけに懐かしい。

 さて、前述のご夫妻のお葬式だが、ご高齢でお二人共同じ病院にご入院されており、ご主人がご逝去されて密葬義を担当。約一ヶ月後に社葬本葬儀を予定されていたら、中陰の間に奥様がご逝去、密葬義を終えてお二人ご一緒の本葬儀となった出来事だった。

 大きなご遺影を準備するにあたって、男性と女性はどちらを上席に考えるかの左右問題で悩み、仏式、神式、レディーファーストということなどで苦しんでいたら、「そうだった!」という誰もが納得される結論に至った。それは、お二人のお写真を正面ではなく斜め前方から撮影されたように制作すること。そしてどちらも内向きになるように並べればよい訳で、背中合わせならおかしいということを考えたからであった。

 多くの会葬者が参列されたので大変だったが、ご祭壇に飾られたご夫婦お二人のお写真をご覧になった方々が驚かれていた。なぜなら社葬本葬儀のご通知をされたのは会長さんだけになっていたからだ。

 葬儀委員長を務められた方がご挨拶の中で経緯に触れられたが、その中で深いご夫婦の絆を感じていますと仰られた言葉に皆さんが頷かれていたのが印象に残っている。

 その後、何度かお二人のケースを担当したが、ある事故の被害者となられた会社の役員さんお二人の男性の本葬儀のこともはっきりと記憶している。

 振り返れば本当に多くの方々のお葬式を担当させていただいたものだ。昔はご自宅で執り行われたことが大半で、商店街や町を歩いていると思い出すことも多く、前を通りながら心の中で手を合わせている。

 ネットニュースの中に目が留まった記事があった。それは「個人情報」ならぬ「故人情報」という問題で、ブログを発信されていた人物や管理人の方が急逝されたケースで浮上するという指摘で、コメント欄が様々な書き込みで荒らされており、中にはウイルスを仕掛けたものも存在するという事実だった。

 このコラムのブログや「独り言」のページでは返信やコメントのシステムを設けていないが、それは自分がいつこの世から出立してしまうか不明だからで、この記事を読んで自身の行動がそれでよかったように思っている。

 ネット社会で批判をされるのは仕方がない考え方も必要で、過日に炎上した官僚のブログや、亡くなってしまった岩手県の県会議員のブログもその内容が引き金になったようだが、自分より弱い立場の人を攻撃するのは避けるべきで、権力を笠に着る政治家や経営者だけを対象にしたいものである。

 病院で番号によって呼ばれたことに立腹されたことが発端だったみたいだが、個人情報の観点からすると現在では当たり前のことだし、氏がもしも過去の「独り言」をご笑覧くださっていたら、きっと怒りを表さなかったと思って残念である。

 過去に病院でCTスキャンを受けたら、造影剤が全て漏れてしまって大変な目に遭ったことを紹介し、医師や看護師さんが平身低頭謝罪される姿に対し、どうしたら早く治るかだけを考えて欲しいと伝え、一切怒りを表さなかった出来事を書いたら、「信じられない」とのメールを頂戴し、「借りを作る」のではなく「貸し作る」人生になったきっかけとして、友人である音響会社の社長が体験したベンチャーズのハプニングについて書いたら皆さんが納得してくれた。

 彼がベンチャーズの日本公演の音響を担当していたら、メンバーの表情に異変が感じられ、すぐにそれがモニターの不具合発生ということに気付いたそうだが、メンバーは客席側だけに流れる音響だけで演奏を続け、やがてアンコール曲に応えて緞帳が降りたそうだ。

 通訳を伴って控室に謝罪に訪れた友人だが、平身低頭する彼に対してベンチャーズのリーダーは、次のような言葉を掛けたのである。

「君は謝罪する必要はない。あれは機材の不具合。だから機材が謝ればよい」

ご仏縁  NO 3320

 大阪高級葬儀のHPで「独り言」の発信を始めてから11年以上の経過があるが、このシーンのHPで「会長のコラム」を始めたのは今年の4月11日のこと。「幸せ列車」のHPの中でコラム「各駅停車」を発信していることもあるのだろうが、友人からこの「会長のコラム」がヤフーやグーグル検索でトップページに出て来たと知らされてびっくり。実際に「会長のコラム」で検索すると本当にトップに出ていたので驚いた。

 更新を続けているからと思うが、ネット検索とは時には信じられない事象も生じる。何度か行ったことのある串カツ店のことを書いたり、大阪で有名だった「屋台のおっちゃん」のことを書いていたところから、「疎開道路 串カツ」と検索したら「独り言」のページが出て来たし、「八坂神社 力餅」と検索してもトップに出て来ると教えられて「!?」だった。

 ネットの世界に詳しい人の話によると、これらはロボット検索エンジンの為す仕掛けだそうだが、こんな葬儀屋のオヤジのページが引っ掛かるだけでも不思議な感じである。

 ネット検索で多用するのは旅行の情報チェックだが、こんな便利な時代になってと驚嘆している日々。振り返れば「独り言」の発信から「えにし」に結ばれた人達が全国に存在することも再認識。今日もそんな一人の女性から嬉しい電話が掛かって来た。

 彼女が講演の講師の依頼を受けたそうで、頑張りなさいと励ましておいたが、大成功になることを願って手を合わせた。

 葬儀に関する講演やセミナーが増えている。手元に入る資料や情報を確認すると、その大半がビジネスを目的とする囲い込み戦略の一端。悲嘆や命について話してきた私の講演とは180度異なっていると感じてしまう。

 しかし、受講された方の遺言から葬儀を担当させていただいたことも少なくなく、結果として仕事につながったことになるが、それは「ご仏縁」だと考えている。

 担当させていただいたお通夜や葬儀の参列者からのご依頼が多いのも弊社の特徴だが、そこには「体感に勝るものなし」という背景があろうし、「ここの葬儀は普通じゃない」というお言葉は弊社の誇りでもあった。

 それは、意志を伝承してくれている女性司会者によって実践されているが、そのつながりが生まれたのも「独り言」の世界なのだからまさに「ご仏縁」になり、いつも彼女に感謝をしている。

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