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振り返って  NO 3508

町の中に存在していた映画館が次々閉館。今や繁華街に足を運ばなければ観ることが出来なくなってしまっている。

我が生野区にもかつて多くの映画館があった。弊社の本社横を西に行って運河を過ぎると右側に生野映劇が存在していたが、今はモータープールになっている。

弊社の西館のある疎開道路を少し北に行った所に洋画専門のパーク劇場があったし、その隣に日活系の映画を上映していた生野大劇があった。

大映系の映画は国道25号線源ヶ橋交差点から猫間川筋を北へ200メートルほど行った所にあった電気館が存在していた。市川雷蔵の映画を何度か観たが、ラムネが10円、みかん水が5円だったことを記憶している。

国道26号線の桑津と百済の中間の南側に東宝系の敷島東宝があり、ここでゴジラを観たことも憶えている。

弊社の本社前を通る今里筋の田島5丁目の信号を東へ入るとコトブキ座があった。また時代劇の多かった東映なら商店街を西へ入り、少し行ったところを南に入り、現在スーパー万代の前身が生野東映だった。豪華な衣装で登場する旗本退屈男が印象に残っている。

当時は「封切」という言葉にインパクトがあったし、予告編が流れたりニュース映像まであったので今では考えられない世界だったが、テレビが家庭に普及していなかったこともあったからだろう。

テレビが広まって映画評論家という人達が登場されたが、代表的なのは「淀川長治氏」と「水野晴男氏」だろうが、淀川氏の「さよなら、さよなら」の言葉は今でも鮮明に蘇えって来る。

小学生の頃に強烈だったのはゴジラ。中学生時代は「渚にて」と「駅馬車」。高校生時代は「西部開拓史」と「アラモ」など西部劇が多かったが、どちらも映画ならではのスケールの大きさが感じられた。

そうそう、アメリカでゴジラが話題を呼んでいるそうだが、何かの本でゴジラの日本映画で三重県の鳥羽市の先にある湾でイメージされ、地域を挙げて協力した歴史があることを知った。

不思議な日  NO 3507

早朝のBSのテレビニュースが終わったら、サントリーのセサミンのCMが始まった。ドラマのようなストーリーになっている。一人の女性の人生をドラマチックに描き、セサミンと出会って愛用しているというシナリオだったが、その女性に見覚えがあってびっくり。終盤で彼女の名前が紹介されたので間違いないと判明した。

ある温泉リゾートホテルのオーナーだった彼女。私の友人が仕事の関係で交友があったことから一緒に食事をしたこともあり、娘さんと二人で来られた際にご一緒したことを憶えている。

同じテーブルにホテル業界で知られる人物や、多くのゴルフ場を経営されるオーナーの方もおられたが、食事が始まる前に会場のホテルの総支配人がスタッフの方にウェルカムシャンパンを持たせてご挨拶に来られたので驚いた。

彼女は「傾国」という故事を思い浮かばせるような美人、確か娘さんが大学生になった頃だったと記憶している。

CMの中でホテルのトップを後継者に譲られて悠々自適な日常を過ごされていることを知ったが、もう15年以上の経過があるのに、当時と全く変わらないイメージに驚きながら、だからこそスポンサーが彼女をキャスティングしたように思えた。

続いて天気予報を確認しようと地上波に変えたら、あるご夫婦の日常生活の様子が紹介されている。十数年前に奥さんが認知症になり、献身的な介護を続けるご主人の言葉や行動に感心したが、<何処かで見たことのある人?>と思っていたら、ナレーターが男性の名前を紹介したのでびっくり。

彼は若かりし頃から知っていた人物で、60才代を迎えたところだったので私より少し若いが、先代さんも地元生野区でご商売をされていた。

彼が、ある日突然に私の事務所に奥さんを伴って来社したことがあった。その時、偶々ホテルで行われる大規模な社葬の中で流される資料映像の編集中で、それをご覧になりながら「こんな仕事までされているのですか!」と驚嘆され、変えられる際に私が監修した葬儀用のオリジナルCD「慈曲」をプレゼントした。

奥さんが認知症になって介護している男性が6人紹介されていたが、それぞれ70才を超えられているので「老々介護」ということになる。会話の噛み合わない認知症という症状は本当に悲劇である。

有吉佐和子さん原作の「恍惚の人」のことを思い浮かべながら、する側、される側、互いがそうならないように気を付けたいと考えている。

思い出したこと  NO 3507

兵庫県で山火事が発生、山陽自動車道や播磨道が通行止めになり、大規模な消失となってようやく鎮火したニュースがあった。

原因はバーベキューで使用した炭火の灰を捨てた所から発声したみたいだが、炭の習性を理解していなかった過失からと伝えられていた。

葬儀という仕事に携わって「炭火」というものには苦労させられた体験がある。冷え込みの厳しい時期に炭火による参列者への暖房が不可欠で、ガソリンスタンドに頼んで入手したオイル缶を溶接所に依頼して鉄材の足を付けて貰い、一部に口を開けるように穴を作って貰ったものだが、確かに暖かくて重宝していたが、提供する側の責任として完全な消火が不可欠で、お客様が帰られた後始末が大変だった。

当時はご自宅やお寺が式場というのが大半で、その後に地域の会館が登場したが、式場外の暖房は欠かせない重要なもので、受付を担当される方々から「夕方には寒くないようにしてくれ」というのが常識だった。

炭火は始末が大変で、その代替策の一環として考えられたのが固形燃料だった、旅館の夕食に見掛けられる青い色の可燃物だが、それを単体で燃やしても然程暖房効果につながらず、円筒形の鉄のボックスも必要だったし、安全のために周囲に金網をセッティングする作業も仕事の一つとなっていた。

炭火の消化は担当責任者の責務としていたが、徹底的に水を掛けて鎮火するのはもちろんでも、水が流れた後の汚れも大変だったし、持ち帰った消し炭を乾かす仕事も苦労があった。

やがて大きな消壺みたいな物が考えられたが、安全性を考えると水没させて完全消火に勝ることなく、手間でも原始的な作業が我々葬儀社の仕事の一つとなっていた。

その後に大型の石油のファンヒーターも登場したが、静寂なイメージを重視したいのに騒音による環境破壊が著しく、なるべく離れた場所で使用するように配慮していた。

今では大半のお葬式が専門式場という空間だが、全天候型の環境をご遺族と共に参列者が共有されることは何よりだし、我々スタッフも肖れるので有り難いことだ。

何度もホテル空間を式場として利用させて貰った歴史があるが、特別な場合はホテルの音響システムを使用せず、プロスタッフによる音響と照明をプロデュースしていたことも多かった。プロデュースとはキャスティングが何より重要で、そこで「これぐらいでいいか」なんて妥協すればプロの仕事ではなくなってしまう。そんな拘りが弊社の式場の音響システムの具現化につながっている。

医療のこと  NO 3506

関東でガンの腹腔手術を受けた患者が直後に亡くなったり、次の日に亡くなったケースや半月も経たない内に亡くなり、その手術を担当した医師が同じなので問題になっている報道があった。

また、兵庫県立病院で心電図の異常を知らせる警報が鳴っているのに70分間も放置し、対応しなかったことから死に至らしめたお気の毒な出来事も起きていた。

こんなことで寿命に変化が生まれると考えるとゾッとするが、手術を受けて集中治療室で24時間を過ごした体験があるところから、他人事とは思えない心情を抱いた。

集中治療室は体験者にしか理解出来ない環境で、集中治療室症候群と呼ばれる精神的な病気に発展することもあり、二度と体験したくない世界として忘れられないでいる。

手術を受けたのは大規模な病院で、終わって運び込まれた集中治療室には16人の患者がいたが、点滴が終わったら警告音が鳴るシステムがあり、あちこちで鳴り続け、その騒音で神経が病む一歩手前まで追い込まれた環境だった。

看護師さんが不足していたこともあるだろうが、ピーピー鳴っているのに対応しないので狂乱してしまう人が出るのも納得する世界と言えるだろう。

医学の世界は1年で急激に変化することもある。私が受けた手術も次の年には新しい技術が取り入れられ、手術時間が三分の一になるし、入院期間が20日間から1週間に短縮されるたのだから劇的に進化したことになるが、1年待ってから手術を受けるべきだったと思った出来事だった。

肺の手術を受けた友人がいるが、昔だったら開胸される大手術だったのに、4箇所の腹腔だけで済んだと聞いてびっくり。銭湯で手術痕を見せてくれたが、今では痕跡も分からなくなっている。

プロ野球界で著名な人物がガンの手術を受けられ、胃を全摘されるという大手術だったが、その時も4箇所だけの腹腔手術で、内視鏡や医療器具を入れる小さな3箇所と、摘出する胃を取り出すための少し大きな箇所だけで成功したことも有名である。

ニュースの中にびっくりがあった。偽医師が講演やFM放送にも出演していたというもので、地元では有名な人物だったので話題を集めているが、診察行為に及んでいたら患者も衝撃が走っただろうと想像する。

今日「水曜日」は「まぐまぐブログ」の発信日。内容は葬儀に関するものだが、参列した場合に相手側の宗教に合わせるか、それとも自分の宗教でこうどうするかという問題で、焼香、玉串奉奠、献花などのしきたりの相違もあるし、同じ仏教でも焼香の回数などの作法が異なっているという複雑なことに触れておいたので、ご興味があればご登録の上ご笑覧を。

高齢社会の中で  NO 3505

4月1日から消費税が増税となり、年金受給金額が減ったり、様々な社会変化から我々国民の生活が厳しくなって来ている。

我が国で「3%」という消費税が始まった時、葬儀を迎えられる「悲しみの心情」に税金を課すことに強い抵抗感を覚えていたが、「8%」となった現在もその思いは変わっていない。

今月から制度が変わった中に国民健康保険の負担金問題もあった。今年の4月2日以降に70才の誕生日を迎えた人は、誕生月の翌月から医療費の窓口負担が2割になるという制度変更だった。

先月の3月2日から4月1日に70才を迎えておれば、今月の診療から1割負担になるのだから倍額となるので抵抗感を抱かれている方もかなりおられると想像する。

一定の所得があれば3割負担となっているが、70才に至っていない私も3割負担で病院や医院のお世話になっているので申し訳ない思いもしている。

友人や知人に70才以上の人達が多いが、医院の待合室で一緒になって支払をする時の金額が大きく異なるのでびっくりすることも少なくない。

1割と3割なのだから3倍も違うのだから当たり前だが、高齢社会になって様々な社会保障制度に変化が生じ、若い人達の間で「我々の年金が破綻しないように」というような会話を交わしているのを耳にすると寂しくなってしまう。

国家予算の25%が医療費や年金の社会保障費用という現実も厳しいが、無駄な箱物を次々に建設した過去もあり、将来を予見出来るような政治家がいなかったのだろうかと疑問を抱く。

広報の中に次のようなことが書かれていた。

「整骨院や接骨院での『肩こり』『腰痛』の施術は保険の対象にはなりません」という一文だが、一部の例外を除いて全額自己負担と解説されていた。 

骨折、脱臼、打撲及び捻挫(いわゆる肉離れを含む)の施術を受けた場合は、保険の対象となるが、骨折と脱臼に関しては、緊急の場合を除き、あらかじめ医師の同意をえることが必要だそうだ。

命の伝達  NO 3504

これまでに全国各地で講演をして来た歴史があるし、その受講者は同業者、宗教者団体、教育関係者、プライダル司会者組織、ホテル業界、旅館経営者団体から女将さん団体まで様々だが、そんな体験は晩年を迎えてから利用で立ち寄った際に再会という嬉しい出会いになって楽しみの一つとなっている。

同業者や葬儀司会者の来社要望から、多くの人達に指導研修を行って来たこともあるが、彼らに伝えた信念の中で重視していたのは何度か書いたことのある「親を送って一人前の葬儀社」「孫を有して本物の葬儀司会者」ということで、それは自身の体験から至った結論である。

弊社が加盟している「日本トータライフ協会」には「悲しみのプロ」を目指している葬儀のプロ達が存在している。共に研修を重ねながら「悲嘆」「ホスピスなどの終末医療」「グリーフケア」「アドバイザーとしての役割」などを真剣に学んでいるが、それぞれが交通事故の被害者の悲しいお通夜や葬儀を担当した体験から、「飲酒運転撲滅」に対する啓蒙活動も行っている。

齢を重ねて孫を持つと始めて「爺ちゃん」「婆ちゃん」の心情を理解することが出来、劇的と言う程葬儀に対する思いに変化が生じる。単純に分かり易く言えば「葬儀が優しくなる」ということで、悲しみの式場空間で「幸せにすること」は出来ないが、少しでも「不幸でないように」務める思いで接することになり、それは、葬儀の重要な意義の一つである「命の伝達」にもつながって来るものだ。

「爺ちゃん」「婆ちゃん」の思いは万国に共通するようで、アメリカの72才で亡くなられた男性が、「人生で学んだ18の教訓」として綴られた「最後の手紙」の内容が話題になっている。

それらの内容については「幸せ列車」の管理人さんのコラムに掲載されているのでご覧いただければ幸いだが、このお爺ちゃんの誕生日がお釈迦様と同じ4月8日というのも興味深いし、同じ日に私の2人目の孫がアメリカで生まれたこともあり、何か不思議なご仏縁を感じながら読むことになり、大いに勉強になったので感謝の思いで手を合わせている。

ご興味があれば幸せ列車 http:/happy-train.net/ でどうぞ。

様々なお葬式の光景を目にして来たが、幼い孫さん達がご出棺時に「お婆ちゃん、有り難う」「お爺ちゃん、有り難う」と伝えられている言葉の響きが最高の救いとなるが、「命を有り難う。大切にするよ。絶対に忘れないから」と言われた言葉を耳にした際には自分の葬儀の時のことを想像しながら、思わず感涙したものである。

50年以上前のこと  NO 3503

故人がご生前に籍を置かれた「講」の存在から、お仲間の人達が「山伏」姿で参列され、ご出棺時に「ほら貝」を吹かれる葬儀を何十回と体験したが、その大半が奈良県の「大峰山」につながる山岳修行信仰であった。

中学生の頃、林間学校で「大峰山」へ参拝したことがあったが、女生徒は戦後に女人禁制が解かれた「稲村ヶ岳」が選択されていた。

「稲村ヶ岳」の標高は1725メートルで、1719メートルの「大峰山」より少し高い所から、女生徒達が「私達の方が高い所へ登ったことになる」と自慢し、男子側が「険しさが大変だったぞ」と返していた。

近鉄線下市からバスに乗り換えて「洞川(どろがわ)」までの行程だったが、その道路の状態が半端じゃなく、途中で対向車があったら大変。何しろ同学年で16クラスもあったのだから少なくとも十数台のバスが連なっていたからである。

宿泊したのは「西儀旅館」と記憶しているが、すぐ近くに古くから関西方面で胃腸薬として知られる薬「陀羅尼助丸」の店があったと記憶している。

この薬は仁丹より大きな粒状のものと板状のものがあり、何が含まれているのかは知らないが、すぐに飲みこまなければ苦くて大変だったことも憶えている。

昔、高齢者の方から教えていただいたことは、この薬は初めての「和薬」だそうで、苦いところから僧が読経をする際の眠気覚ましにも用いられた歴史があり、山岳信仰で知られる「石鎚山」「大山」「御嶽山」などでも似たようなものが存在していたそうである。

「吉野」や「高野山」でも販売されているのを見たことがあるが、交友していた人の中に「講」の「先達」として活躍されていた人物があり、いつも購入して来てくれていたので昔から我が家の常備薬として存在していた歴史もある。

さて、私の誕生日にオープンした「あべのハルカス」だが、昨日、その中にあるホテル・マリオットに勤務する人物から電話があった。落ち着いた頃にお越しくださいと言われたが、高所恐怖症から高層は遠慮したいのでどうするべきか悩んでいる。

我が家からはっきりと見える高層建築だが、周りに高層マンションが一棟あるだけなので際立っている。300メートルとはいやはやびっくりの存在である。

「マリオット」は高級ホテルのブランドとして知られているが、大阪南港にあるホテル・ハイアット・リージェンシーの経営から大林組が離れたニュースもあった。香港の不動産会社が経営することになったそうだが、このホテルにも知人が勤務しているので心配している。

危険がいっぱい  NO 3502

広島でポプラの木が突然倒れて下敷きになった人達に被害が発生というニュースがあった。根の部分が腐食していたことも原因のようだが、過日の大きな地震が遠因になっていたことも考えられる。

この世は何時何処で災難に遭遇するかは分からないが、車が意図的に歩道に突っ込んだり通り魔的な犯罪が増加しているので危険率が高まっているようだ。

過日のバス事故みたいに運転している最中に心疾患や脳疾患になったら大変だし、高速道路を逆走するケースも増えているので恐ろしいことである。

最近は全国の鉄道で毎日のように人身事故が発生しているし、心の風邪という病が増えていることも現実である。

これまでに事故や事件の被害者の葬儀を担当したことも少なくないが、式場での弔問者や会葬者に漂う環境は言葉では表現できない世界があり、高齢者が送られる葬送とは全く異なる空気が流れているので大変である。

そんな体験をしているプロ達が集うのが「日本トータライフ協会」だが、飲酒運転や「いじめ問題」の撲滅を目的に啓蒙活動も行っており、「命の教育」や「あの世の教育」の重要性を社会に訴えている。

昔、そんなメンバーだけがやりとりするイントラネッツというページがあったが、悲しみの強い葬儀の担当者が、事故の被害者のケースで「体験したくない」という書き込みを何度も目にしたことがあった。

前にも書いたことがあるが、ある女性司会者の方から苦悩を訴えるメールが届いたことがあった。発信されていたのは昼過ぎのことだったが気付いたのは夕方のこと。内容を読んでお通夜に間に合うようにと考えて返信したが、その心情は誰にも生まれて当たり前のことだが、中には誤解をしている司会者もあり、アドバイスをしたためて対応することになった。

「教えていただきたいことがあります。今夜、私は悲しいお通夜を担当します。亡くなられたのは幼稚園に通う女の子で、交通事故に遭ったそうです。どうしても泣いてしまいそうで先輩に相談したら、『泣いたり涙を流すような司会者はプロではない』と言われたのですが、どうしたらよいのでしょうか」

「泣きなさい。涙を流して司会を務めなさい。それが心ある司会者のあるべき姿です。淡々と進めるのは機械でないと無理な話で、あなたが涙を流すことも供養につながると信じます。涙の成分は真っ赤な血液だそうです。血液が透明になって流れ出るまでのプロセスが需要で、それが心身の悲しみを少し和らげるとも言われています。ただ、開式前に『今日の司会を担当しますが、私も司会者である前に一人の人間であり悲しい思いに包まれております。途中で言葉にならなくなったり取り乱すことがあるかもしれませんが、その時は何卒ご海容くださいますよう』とお断りしてから始めるべきだと思います」

そして、その日の夜遅く、次のようなメールが送られて来た。

「アドバイス有り難うございました。本当に辛くて悲しくて大変なお通夜となり、二度と体験したくない思いでした。祭壇のかわいい遺影を目にすることも辛くて堪りませんでしたし、悲しみに暮れられるご両親のお姿を見ると逃げ出したくなる思いでしたが、アドバイスをいただいたことで私が担当しなければという思いも少し生まれました。開式前にお断りの言葉を伝えて始めましたが、お父様の謝辞のフォローの際にどうにもならない状況となってしまいました。でも、開式前のお断りを皆さんがご理解くださったようで、お母様から『あなたのような人に司会をして貰ったことが救いになりました』とお言葉がいただけました。明日のお葬式は辛いけれどもお断りから始めて懸命に努めようと思っています。有り難うございました」

思い出したこと  NO 3501

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の3月2日放送分で、石山本願寺のシーンで「阿弥陀如来」である筈のご本尊が「釈迦如来」になっていたことを視聴者から指摘されたニュースがあった。

時代劇のセットでは時代考証などで問題になることもあるが、こんな宗教的な基本問題をNHKが仕出かすとは信じられない話で、例の新会長に対する内部の抵抗感の表れでは?と考えてしまう出来事だった。

さて、真面目な問題として触れるが、我々葬儀社はお客様の宗教に関して神経を遣うのは当然で、ご本尊を間違ったら大変なことになるので真剣に対応しているが、桐箱に収められたご本尊の掛け軸を何処に置いているかも重要なことで、倉庫の片隅の下部に置いているようでは最悪となるだろう。

昔、葬祭業界が仕入れの関係で取引する会社の展示会に行ったことがあったが、そこで新製品のコーナーに祭壇の奥に鎮座することを発想した宗派別のご本尊の仏像が提案されており、注目を浴びていた。

そこで抱いた疑問を担当者に質問したら、「ちょっとお待ちください」と上司に報告に行ったようで、しばらくすると部長という肩書の人物と共に戻って来た。

仏像の高さは座像でも1メートルを超えるもので、天井の高い式場でなければ設営が不可能な問題があったが、私が質問したのは俗に言われる「お性根」のことで、お寺のように開眼安置されたままなら考えることはないが、我々葬儀会社の場合は宗教が異なることが常で、その度に取り換える必要が生じるが、その際に木箱に収めて保管してもよいのかというもので、この「お性根」に関することは簡単なことではない問題を秘めていた。

一部の宗教では導師や信者の方が「ご本尊」を持参されるケースもあるし、掲げたり外す際にも我々業者に託されることもなく行われることもあるが、展示会で並んでいた「阿弥陀如来」「釈迦如来」「大日如来」などは果たしてどのような対応が提案されるのだろうか
と興味を抱いた訳である。

「お待たせしました。今回の展示会の責任者**と申します。担当者からご質問のことを聞き参りました」

物腰の柔らかいイメージの人物がそう言って対応が始まったが、彼は想像もしなかった結果を次のように返して来た。

「ご本尊に関します『お性根』問題は、業者様それぞれのお考えでご対応願えればと思っております。御社は本義に厳しいお考えがおありのようですが、大半の業者様はそんなことをお考えになりませんので」

そう言われたら驚くしかなかったが、注文契約をしている同業者の姿を見ながら疑問を抱いて帰阪した出来事として印象に残っている。

史実から  NO 3500

3年目を迎えた東日本大震災だが、報道番組で流されていた様々な衝撃的な映像を目にして手を合わせた。

この世に神仏の存在は? 宗教って何だろう? そんな思いを抱いたが、大きな地震が発生しないように祈っている。

発生時から数日間はテレビの番組も惨状を伝えるニュースが中心だったし、CMも自粛されていたので「ACジャパン」ばかりが印象に残っているが、視聴者から抗議が殺到して謝罪文を発表した出来事も起きていた。

人は大自然の前に無力であることを再認識させられた出来事だが、この世でこんなブログを打ち込める幸運に改めて手を合わせなければならないと考えている。

さて、昨日の巨人、阪神戦は65年振りに三重県伊勢市の球場で行われていた。両チームの歴史に残る巨人の「沢村投手」と阪神の「西村投手」の故郷での開催だが、西村投手の実家は外宮の前にある有名な「うなぎ」の店である。

過日にご仏縁に結ばれて広島県方面に出掛けたが、その際に立ち寄った「鞆の浦」が印象に残っている。高台にある福禅寺の「対潮楼」には幕末の志士達の集合写真があったが、歴史に必ず登場する人物が全て写っていたようだった。

この「対潮楼」は坂本龍馬と紀州藩が賠償責任問題に関して交渉が行われた場所。大洲藩から海援隊が借用していた「いろは丸」が紀州藩の「明光丸」と衝突。一度離れて再度衝突したために「六分の一」の大きさだった「いろは丸」が航行不能になり、曳航されて鞆の港に行く途中で沈没したものだが、その賠償に関する坂本龍馬の交渉テクニックは有名なほど語り継がれており、幕末をテーマとするドラマや映画では必ずと言ってよいほど採り上げられている。

そんな「対潮楼」に随分昔の望遠鏡が柱に設置されており、カメラで接写出来るので驚いたが、案内してくれた人物がその撮影された写真をブログに掲載していた。

この事件は我が国での初めての「海難審判」とも言われ、坂本龍馬は「万国公法」などを取り寄せて交渉したが、この地で決着するに至らず、明光丸は長崎へ向けて出航してしまい、交渉の舞台は長崎に移り、やがて紀州藩が賠償を納得した経緯として知られている。

大洲藩と言えば現在の愛媛県でNHKの朝ドラ「おはなはん」の舞台となったところだが、30数年前、「ヘラブナ釣り」のポイントとして知られる肱川の「鹿野川ダム」に行ったこともあり、鞆の浦での資料を見ながら懐かしく思い出していた。

因みにこの海難事故が発生したのは坂本龍馬が暗殺される半年前で、世の中は「風雲急」という時代に流れて行った。

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